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万葉集読解・・・49(675~ 692番歌)

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     万葉集読解・・・49(675~ 692番歌)
 頭注に「中臣女郎(なかとみのいらつめ)が大伴宿祢家持歌に贈った五首」とある。中臣女郎は伝未詳。
0675   をみなへし咲く沢に生ふる花かつみかつても知らぬ恋もするかも
      (娘子部四 咲澤二生流 花勝見 都毛不知 戀裳摺可聞)
 「をみなへし」を枕詞とする説もあるが、花そのものとして詠っている例も多く、枕詞(?)。また「花かつみ」も枕詞とする説もあるが、「花かつみ」はこの歌一例のみ。やはり枕詞(?)。「花かつみ」は不明花。いずれにしろ上三句は序歌なので歌意は下二句にある。「かっても」は「ついぞ」という意味。
 「オミナエシが咲く沢に花かつみが咲くように、ついぞこんな恋をしたことはありません」という歌である。

0676   海の底奥を深めて我が思へる君には逢はむ年は経ぬとも
      (海底 奥乎深目手 吾念有 君二波将相 年者經十方)
 「海(わた)の底奥(おき)を深めて」は文字通り「心中深く」である。
 「心中深く恋しく思っているあなたには何年かかっても是非お逢いしたい」という歌である。

0677   春日山朝居る雲のおほほしく知らぬ人にも恋ふるものかも
      (春日山 朝居雲乃 欝 不知人尓毛 戀物香聞)
 春日山は奈良県の山。その春日山上空にどんよりとかぶさっている鬱陶しい雲。その雲のように「おほほしく」は「憂鬱(原文: 欝 )しくも」という意味である。
 「春日山上空にどんよりとかぶさっている鬱陶しい雲ではありませんが、知らない人なのに恋に落ちてしまいました」という歌である。

0678   直に逢ひて見てばのみこそたまきはる命に向ふ我が恋やまめ
      (直相而 見而者耳社 霊剋 命向 吾戀止眼)
 「直(ただ)に逢ひて」は直接逢うこと。「たまきはる」は枕詞。「命に向ふ」は「命がけの」という意味。
 「直接お逢いしてこそ、命がけのこの恋やむかもしれませんが、それまでこの恋決しておさまりません」という歌である。

0679   いなと言はば強ひめや我が背菅の根の思ひ乱れて恋ひつつもあらむ
      (不欲常云者 将強哉吾背 菅根之 念乱而 戀管母将有)
 読解不要の平明歌。菅の根は地中深く絡み合っている。
 「否とおっしゃるなら強引に求めはいたしません。菅の根のように乱れた思いのまま恋続けています」という歌である。

 頭注に「大伴宿祢家持、交遊(こふいふ)との別れの歌三首」とある。
0680   けだしくも人の中言聞かせかもここだく待てど君が来まさぬ
      (盖毛 人之中言 聞可毛 幾許雖待 君之不来益)
 女性なら妹(いも)ないし郎女(いらつめ)と記すが、君とあるから相手は男性に相違ない。
 「けだしく」は現代でもときには使われるように、「おそらく」という意味。中言(なかごと)は中傷のことである。「ここだく」は「しきりに」ないし「一生懸命に」という意味である。
 「おそらく中傷を耳にしたのだろう、待てども待てども君はやってこない」という歌である。

0681   なかなかに絶ゆとし言はばかくばかり息の緒にして我れ恋ひめやも
      (中々尓 絶年云者 如此許 氣緒尓四而 吾将戀八方)
 「なかなかに」は「いっそのこと」という、「息の緒にして」は「長らく」という意味である。
 「いっそのこと交遊を絶つとおっしゃって下されば、こんなにも長くお慕い続けることもないでしょうものを」という歌である。

0682   思ふらむ人にあらなくにねもころに心尽して恋ふる我れかも
      (将念 人尓有莫國 懃 情盡而 戀流吾毳)
 「思ふらむ人にあらなくに」は「思っていて下さる風には見えませんが」という意味である。「ねもころに」はむろん「ねんごろに」のこと「心尽して」と同意なので、強調と考えてよかろう。
 「私のことを思っていて下さる風には見えませんが、私の方では心尽してお慕い申し上げています」という歌である。

 頭注に「大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)の歌七首」とある。
0683   言ふ言の恐き国ぞ紅の色にな出でそ思ひ死ぬとも
      (謂言之 恐國曽 紅之 色莫出曽 念死友)
 「言ふ言(こと)の恐(かしこ)き国ぞ」は「噂(や中傷)が恐ろしい国柄ですよ」という意味である。「な出でそ」は「な~そ」の禁止形。
 「噂が恐ろしい国柄ですよ、鮮やかな紅色のようにはっきり表に出してはいけません。たとえ死ぬほど恋焦がれていようとも」という歌である。

0684   今は我は死なむよ我が背生けりとも我れに依るべしと言ふといはなくに
      (今者吾波 将死与吾背 生十方 吾二可縁跡 言跡云莫苦荷)
 恋の辛さや苦しさは今も昔も変わらぬとみえ、死にたいと思う心情を詠っている。「といはなくに」は「おっしゃらないので」という意味。
 「もう死んでしまいたい。あなた。生きていたって私に心を寄せようとおっしゃらないのですもの」という歌である。

0685   人言を繁みか君が二鞘の家を隔てて恋ひつつまさむ
      (人事 繁哉君<之> 二鞘之 家乎隔而 戀乍将座)
 「人言(ひとごと)を繁みか」は「他人の激しい噂を気にしてか」という意味である。「二鞘(ふたさや)の家」は、「腰に差した二本の刀の鞘のように並んでいる家」すなわち「非常に近い家」という意味。
 「他人の激しい噂を気になさってか、二本の刀の鞘のように近い家に住んでいて、恋続けながらも逢おうとなさらないのは」という歌である。

0686   このころは千年や行きも過ぎぬると我れやしか思ふ見まく欲りかも
      (比者 千歳八徃裳 過与 吾哉然念 欲見鴨)
 第四句「我れやしか思ふ」と切って解する。結句の「見まく欲りかも」の「かも」を、「岩波大系本」は「疑問を表す」とし、「あなたを見たいからそんな気がするのだろうか」と解している。が、私には不思議な解に思われる。上句の「千年も~」という切実な歌意にそぐわない。「かも」は詠嘆のかも。
 「このごろ、お逢いしないまま千年も経ってしまったのかと思えてならない私です。ああ、あなたにお逢いしたい」という歌である。

0687   うるはしと我が思ふ心速川の塞きに塞くともなほや崩えなむ
      (愛常 吾念情 速河之 雖塞々友 猶哉将崩)
 「うるはしと」は「いとしいと」という意味。「速川の」は「急流のように激しく」という意味である。「塞(せ)きに塞(せ)くとも」は「塞きで塞きとめようとしても」という、「崩(く)えなむ」は「おしとどめようがありません」という意味である。
 「いとしいと思う私の心は急流のように激しく、塞きで塞きとめようとしてもおしとどめようがありません」という歌である。

0688   青山を横ぎる雲のいちしろく我れと笑まして人に知らゆな
      (青山乎 横殺雲之 灼然 吾共咲為而 人二所知名)
 「青山を横ぎる雲のいちしろく」は序歌。「いちしろく」は「くっきりと」という、「知らゆな」は「気づかれないように」という意味である。
 「青い山にたなびく真っ白な雲のように、私とはっきり微笑み交わしても人には気づかれないように」という歌である。

0689   海山も隔たらなくに何しかも目言をだにもここだ乏しき
      (海山毛 隔莫國 奈何鴨 目言乎谷裳 幾許乏寸)
 「海山も隔たらなくに」は685番歌の「二鞘の家」(すぐ近くの家)の換言である。「何しかも」は「どうして」という、「目言(めごと)をだにも」は「目くばせさえも」という意味である。「ここだ」は「こんなに」という意味。
 「海や山で隔てられているわけでもなく、すぐそばに住んでいるのに、どうして目くばせさえもこんなに出来ないのかしら」という歌である。

 頭注に「大伴宿祢三依(おほとものすくねみより)の悲別の歌」とある。三依は御行の子で旅人の従兄とされる。
0690   照る月を闇に見なして泣く涙衣濡らしつ干す人なしに
      (照日乎 闇尓見成而 哭涙 衣<沾>津 干人無二)
 「照る月を」の原文は「照日乎」となっているので、「照らす日を」と訓じる説もある。「佐々木本」、「岩波大系本」、「中西本」はみなそう訓じている。が、日は月の誤写とみて「照る月の」とする説もある。「伊藤本」がそうである。常識的かもしれないが、ここは「伊藤本」に従いたい。「闇夜に月」とはいうが、「闇夜に太陽」はあり得ない。日は闇の強調と言って言えないことはないが、そんな例は聞いたことがない。むろん万葉集内には見当たらない。まぶしい太陽を闇にみなすのは不可解。
 「月はこうこうと輝いているが、私の心は月光のない闇で、いくら涙を流して着物を濡らしてもその涙を拭ってくれる人はいない」という歌である。

 頭注に「大伴宿祢家持が娘子(をとめ)に贈った歌二首」とある。
0691   ももしきの大宮人は多かれど心に乗りて思ほゆる妹
      (百礒城之 大宮人者 雖多有 情尓乗而 所念妹)
  「ももしきの」は枕詞。「心に乗りて」は「心惹かれる」である。
 「大宮に仕える女官は数々あれど心惹かれる女性は君だけだよ」という歌である。

0692   うはへなき妹にもあるかもかくばかり人の心を尽さく思へば
      (得羽重無 妹二毛有鴨 如此許 人情乎 令盡念者)
 「うはへなき」は「愛想がない」ないし「冷たい」という意味である。
 「冷たいひとだね、君は。私がこんなに気持を尽くしているのに」という歌である。
           (2013年8月27日記、2017年11月24日)
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