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万葉集読解・・・51(711~728番歌)


     万葉集読解・・・51(711~728番歌)
 頭注に「丹波大女娘子(たにはのおほめをとめ)の歌三首」とある。
0711   鴨鳥の遊ぶこの池に木の葉落ちて浮きたる心我が思はなくに
      (鴨鳥之 遊此池尓 木葉落而 浮心 吾不念國)
 上三句は「この池に」とあるように実景から浮かんだ比喩。
 「鴨が遊ぶこの池に木の葉が落ちて浮かぶような、そんな浮わついた心でお慕いしているわけではありません」という歌である。

0712   味酒を三輪の祝がいはふ杉手触れし罪か君に逢ひかたき
      (味酒呼 三輪之祝我 忌杉 手觸之罪歟 君二遇難寸)
 「味酒(うまさけ)を」は枕詞。三輪は奈良県桜井市に鎮座する三輪神社。「祝(はふり)」は神官のこと。「いはふ杉」は「三輪神社があがめる神木の杉」のこと。
 「三輪神社の神官があがめる神木の杉。その神木に触れてしまったたたりなのでしょうか、なかなかあの方に逢えないのは」という歌である。

0713   垣ほなす人言聞きて我が背子が心たゆたひ逢はぬこのころ
      (垣穂成 人辞聞而 吾背子之 情多由多比 不合頃者)
 「垣ほなす」は「垣根のように高くめぐらされた」という意味である。人言(ひとごと)はむろん噂のことである。「心たゆたひ」は「動揺して」である。
 「垣根のように高く張りめぐらされた噂のせいでためらっているのでしょうか、このごろ逢ってくださいませんね」という歌である。

 頭注に「大伴宿祢家持が娘子(をとめ)に贈った歌七首」とある。
0714   心には思ひわたれど縁を無み外のみにして嘆きぞ我がする
      (情尓者 思渡跡 縁乎無三 外耳為而 嘆曽吾為)
 第三句の「縁(よし)を無(な)み」は「きっかけがないので」という意味である。
 「心では思い続けているのですが、きっかけがないので嘆いています、私は」という歌である。

0715   千鳥鳴く佐保の川門の清き瀬を馬うち渡しいつか通はむ
      (千鳥鳴 佐保乃河門之 清瀬乎 馬打和多思 何時将通)
 「千鳥鳴く」は「多くの鳥が鳴く」という意味。「佐保川」は奈良市内を流れる川で、坂上郎女(さかのうへのいらつめ)が居を構えていた佐保がある。
 「多くの鳥が鳴く佐保川の清い瀬(渡し場)を馬に鞭打ち川を渡っていつか通いたい」という歌である。

0716   夜昼といふ別知らず我が恋ふる心はけだし夢に見えきや
      (夜晝 云別不知 吾戀 情盖 夢所見寸八)
 「夜昼といふ別(わき)知らず」は「昼も夜も」という意味。「けだし」は「もしかして」である。
 「昼となく夜となく恋焦がれていますが、もしかしてその私の心、夢に通じませんでしたか」という歌である。

0717   つれもなくあるらむ人を片思に我れは思へばわびしくもあるか
      (都礼毛無 将有人乎 獨念尓 吾念者 惑毛安流香)
 「つれもなく」の「つれ」は「つれない素振り」の「つれ」で、「冷たい」という意味。 「冷たい人を片思いしている私はわびしくてなりません」という歌である。

0718   思はぬに妹が笑ひを夢に見て心のうちに燃えつつぞ居る
      (不念尓 妹之咲儛乎 夢見而 心中二 燎管曽呼留)
 「思はぬに」は「思いがけず」という意味。
 「思いがけずあなたの笑顔を夢に見て、心の中で恋焦がれています」という歌である。

0719   ますらをと思へる我れをかくばかりみつれにみつれ片思をせむ
      (大夫跡 念流吾乎 如此許 三礼二見津礼 片念男責)
 「ますらをと思へる我れを」は「ひとかどの男と思っているのに」という意味。「みつれにみつれ」は「やつれ果てて」という意味である。
 「ひとかどの男と思っていたその私が、こんなにまでやつれ果てて片思いに墜ちることになろうとは」という歌である。

0720   むらきもの心砕けてかくばかり我が恋ふらくを知らずかあるらむ
      (村肝之 情揣而 如此許 余戀良<苦>乎 不知香安類良武)
 「むらきもの」は枕詞。他は読解不要の平明歌。
 「心が砕けんばかりにこんなにも恋焦がれているのに彼女は知らずにいるのだろうか」という歌である。

 頭注に「大伴坂上郎女(おほとものさかのうえのいらつめ)が天皇に獻(たてまつ)った歌」とあり、細注に「佐保宅での作」とある。天皇は四十五代聖武天皇
0721   あしひきの山にしをれば風流なみ我がするわざをとがめたまふな
      (足引乃 山二四居者 風流無三 吾為類和射乎 害目賜名)
 「あしひきの」は枕詞。「風流(みやび)なみ」は「田舎者でございますので」という意味。第四句の「我がするわざを」はむろん歌を献る行為。彼女の住む大伴本家の佐保から平城京までせいぜい1キロ。「山にしをれば風流なみ」などという場所ではなく、都のまさに中心部。献上歌ゆえの謙遜表現。
 「山住みの田舎者が献る歌でございます。田舎者のすることゆえおとがめなさいませんように」という歌である。

 頭注に「大伴宿祢家持の歌」とある。
0722   かくばかり恋ひつつあらずは石木にもならましものを物思はずして
      (如是許 戀乍不有者 石木二毛 成益物乎 物不思四手)
 読解を要さない平明歌。
 「こんなに恋い焦がれるくらいなら、いっそ石なり木なりになってしまいたい。こんなに恋に苦しまなくて済むだろうから」という歌である。

 頭書に「大伴坂上郎女が跡見の庄から家の女子(むすめ)の大嬢(おほいらつめ)に贈った歌と短歌」とある。跡見(とみ)の庄(たどころ)は桜井市の鳥見山にあったかとされる田でそこにいっとき寝泊まりしていた。家のある奈良市の佐保から比較的近い。
0723番 長歌
   常世にと 我が行かなくに 小金門に もの悲しらに 思へりし 我が子の刀自を ぬばたまの 夜昼といはず 思ふにし 我が身は痩せぬ 嘆くにし 袖さへ濡れぬ かくばかり もとなし恋ひば 故郷に この月ごろも 有りかつましじ
   (常呼二跡 吾行莫國 小金門尓 物悲良尓 念有之 吾兒乃刀自緒 野干玉之 夜晝跡不言 念二思 吾身者痩奴 嘆丹師 袖左倍<沾>奴 如是許 本名四戀者 古郷尓 此月期呂毛 有勝益土)

  長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「常世にと」は「あの世にと」という、「小金門(をかなと)」は「ご門」という意味。「刀自(とじ)」は女性の尊称で、自分に代わって主婦を努めているだろう大嬢。「もとなし」は「心もとない」ないし「しきりに」という意味。「有りかつましじ」は「出来はしない」。

 (口語訳)
  あの世へと旅立ったわけでもないのに、ご門で悲しそうにしていた我が子。留守中に私に代わってつとめる刀自(とじ)(主婦)のことを思うと、夜も昼も心配で私はやせ細ってしまった。嘆いて着物の袖は涙で濡れてしまった。このように、しきりに恋しく思われ、
ここ故郷の跡見の庄に何か月もいられないだろう。

 反 歌
0724   朝髪の思ひ乱れてかくばかり汝姉が恋ふれぞ夢に見えける
      (朝髪之 念乱而 如是許 名姉之戀曽 夢尓所見家留)
 跡見庄は大伴家の農地。佐保から10キロほど南下した桜井市内の地と考えられている。娘の大嬢は大伴家持の妻となる女性で、二人の結婚話が持ち上がっていたため、坂上郎女は家を出て故郷の地に移り住むことにしたのだろうか。
 それはさておき、「汝姉(なね)」は「お姉さんのお前」という意味で、大嬢を指している。彼女には妹の二嬢がいる。
 「朝起きの髪の毛のように心が乱れるからなのか、おねえ(大嬢)がしきりに恋しがるからか、お前が夢に出てくる」という歌である。
 左注に「この歌は大嬢が贈ってきた歌に応えたもの」とある。

 頭注に「天皇に獻った歌二首」とあり、細注に「大伴坂上郎女、春日の里にあって作った歌」とある。天皇は四十五代聖武天皇。春日の里は彼女の住んでいた佐保の近く。
0725   にほ鳥の潜く池水心あらば君に我が恋ふる心示さね
      (二寶鳥乃 潜池水 情有者 君尓吾戀 情示左祢)
 にほ鳥はカイツブリのこと。水中に潜ったり出たりする鳥。自宅の池と皇居の池を重ね合わせ、カイツブリに託して詠った歌とみられる。
 「水中深く潜る池のカイツブリよ、心があれば、我が恋する心をあのお方に示しておくれでないか」という歌である。

0726   外に居て恋ひつつあらずは君が家の池に住むといふ鴨にあらましを
      (外居而 戀乍不有者 君之家乃 池尓住云 鴨二有益雄)
 「外(よそ)に居て」は「よそに離れ住んでいて」という意味である。
 「よそに離れ住んでいて、恋い焦がれていないで、いっそあなた様の居宅の池に住むという鴨になりたい」という歌である。

 頭注に「大伴家持が坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)に贈った歌二首」とあり、細注に「二人は途絶して数年、再会して相聞をやりとりするようになった」とある。
0727   忘れ草我が下紐に付けたれど醜の醜草言にしありけり
      (萱草 吾下紐尓 著有跡 鬼乃志許草 事二思安利家理)
 「忘れ草」は萱(かや)草のこと。萱草を身に付けていると憂さも忘れると思われていたようである。「醜(しこ)の醜草」は「役立たずのろくでなしめ」という意味。「言(こと)にしありけり」は「評判倒れ」という意味である。
 「忘れ草を着物の紐につけたけれど役立たずの馬鹿草め、評判倒れだ。苦しみを忘れることが出来なかった」という歌である。

0728   人もなき国もあらぬか我妹子と携ひ行きて副ひて居らむ
      (人毛無 國母有粳 吾妹子与 携行而 副而将座)
 「人もなき国」は「世間」のこと。「携(たずさ)ひ行きて」は「彼女を連れて」という意味である。「副ひて」は「たぐひて」と読む。「一緒にいたい」という意味である。
 「噂をまき散らす人などいない国はないものか。かわいい彼女を連れて行って二人一緒にいたいものだ」という歌である。
           (2013年9月10日記、2017年12月1日)
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