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万葉集読解・・・65-1(907~919番歌)

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     万葉集読解・・・65-1(907~919番歌)
 雜 歌(巻六全体が種々の歌(雑歌)から成る)
 頭注に「養老七年(723年)五月に第四十四代元正天皇が吉野の離宮に行幸された際、笠朝臣金村(かさのあそみかなむら)が作った歌及び短歌」とある。
0907番 長歌
   瀧の上の 三船の山に 瑞枝さし 繁に生ひたる 栂の木の いや継ぎ継ぎに 万代に かくし知らさむ み吉野の 秋津の宮は 神からか 貴くあるらむ 国からか 見が欲しからむ 山川を 清みさやけみ うべし神代ゆ 定めけらしも
   (瀧上之 御舟乃山尓 水枝指 四時尓生有 刀我乃樹能 弥継嗣尓 萬代 如是二<二>知三 三芳野之 蜻蛉乃宮者 神柄香 貴将有 國柄鹿 見欲将有 山川乎 清々 諾之神代従 定家良思母)

  長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「三船の山」は離宮のあった奈良県吉野郡吉野町宮滝の南東に聳える山。現存している。「栂(とが)の木」はツガの木のことで、マツ科の常緑高木。「秋津の宮」は「秋津にある離宮」のこと。

 (口語訳)
  滝の向こうに見える三船山のツガの枝は瑞々しく生い茂っている。そのようにも未来永劫にお治めになる(大君が)いらっしゃる吉野の秋津の宮は神々しく貴い。そんな神々しい吉野なので誰もが見たいと心惹かれる。山や川は清らかで清々しい。それ故遠い神代の時代からここに宮を作られたのはもっともだ。

 反歌二首
0908   年のはにかくも見てしかみ吉野の清き河内のたぎつ白波
      (毎年 如是裳見<壮>鹿 三吉野乃 清河内之 多藝津白浪)
 短歌(反歌)は本歌と次歌の二首。
 「年のは」は833番歌にもあったように、「年の変わり目」。当時の正月(旧暦)。結句を「たぎつ白波」で止めているところに、激しくたぎりたつ白波の美しさ、すさまじさ、がよく表現されている。
 「新年を迎えるたびに、このみ吉野を流れる清流ののたぎつ白波を見たいものだ」という歌である。

0909   山高み白木綿花におちたぎつ瀧の河内は見れど飽かぬかも
      (山高三 白木綿花 落多藝追 瀧之河内者 雖見不飽香聞)
 「山高み」は「~ので」のみ。第二句の「白木綿花(しらゆふはな)に」には、「岩波大系本」の注に「楮(こうぞ)の繊維で作った白い木綿(ゆう)の造花のように」とある。要は真っ白な布である。崖の高みから激しく落下していく滝壷を見ている光景に相違ない。
 「山が高いから、木綿(ゆう)の花のように真っ白になってほとばしり落ちてゆく滝はいつまで見てても見飽きることがない」という歌である。

 頭注に「或本の反歌に言う」とある。
 前二歌の反歌には異伝があって以下の三首が登載されている。
0910   神からか見が欲しからむみ吉野の滝の河内は見れど飽かぬかも
      (神柄加 見欲賀藍 三吉野乃 瀧<乃>河内者 雖見不飽鴨)
 「神からか」は原文に「神柄加」とあるので分かるように、「神がかっている」すなわち「神々しいからであろうか」という意味。換言すれば「落ち下る滝は神々しく」という意味である。
 「神々しいからであろうか。つい吸い込まれるようにのぞき込みたくなる。吉野の滝の、河内(滝壺)は。いつまで見てても見飽きない」という歌である。

0911   み吉野の秋津の川の万代に絶ゆることなくまたかへり見む
      (三芳野之 秋津乃川之 万世尓 断事無 又還将見)
 「秋津の川の万代(よろずよ)に」は「秋津の川の流れはずっとずっと続いていく」という意味。「またかへり見む」は「毎年やってきて見てみたい」という意味である。
 「み吉野の秋津の川の流れはずっと未来永劫に絶えることなく続いていく。毎年やってきて見てみたいものだ」という歌である。

0912   泊瀬女の造る木綿花み吉野の滝の水沫に咲きにけらずや
      (泊瀬女 造木綿花 三吉野 瀧乃水沫 開来受屋)
 泊瀬女(はつせめ)は奈良県桜井市を流れる泊瀬川で木綿花(ゆふはな)を織っていた女性たちのことで、当時有名だったのだろう。
 「泊瀬川で彼女たちが織るというあの真っ白な木綿花がいま、み吉野の滝の水沫になって咲いているではないか」という歌である。

 頭注に「車持朝臣千年(くるまもちのあそみちとせ)の作った歌と短歌」とある。
0913番 長歌
   味凝り あやにともしく 鳴る神の 音のみ聞きし み吉野の 真木立つ山ゆ 見下ろせば 川の瀬ごとに 明け来れば 朝霧立ち 夕されば かはづ鳴くなへ 紐解かぬ 旅にしあれば 我のみして 清き川原を 見らくし惜しも
   (味凍 綾丹乏敷 鳴神乃 音耳聞師 三芳野之 真木立山湯 見降者 川之瀬毎 開来者 朝霧立 夕去者 川津鳴奈<拝> 紐不解 客尓之有者 吾耳為而 清川原乎 見良久之惜蒙)

 「味凝(うまこ)り」はもう一例162番長歌にも使われていて、その際私は「はっきりしないが、「ぎゅっと味が凝り固まった」という意味か」と記している。「あやにともしく」は「あやしいまでにごろごろと」という意味。「かはづ鳴くなへ」は「かはずが鳴くにつれて」という意味。

 (口語訳)
  凝り固まった、あやしいまでにごろごろと鳴る遠雷の音のように噂には聞いていたみ吉野。実際にみ吉野に来て木々が立つここ山の上から見下ろすと、川の瀬という瀬が明け初めてくると、朝霧が立ちこめて来る。夕方がやってくると、蛙(かじか)が鳴き、つれて、都の妻を思い起こす。共寝の出来ない旅の身、私一人でこの清らかな川原を見るのは惜しいことだ。

 反歌一首
0914   滝の上の三船の山は畏けど思ひ忘るる時も日もなし
      (瀧上乃 三船之山者 雖<畏> 思忘 時毛日毛無)
 三船山は907番歌に記したように、奈良県吉野郡吉野町に現存している。
 「流れ下る滝の上の三船山は荘厳で厳粛な気分に襲われるが、家に残っている妻のことを片時も忘れることが出来ない」という歌である。

 頭注に「或本の反歌に言う」とある。
0915   千鳥泣くみ吉野川の川音のやむ時なしに思ほゆる君
      (千鳥鳴 三吉野川之 <川音> 止時梨二 所思<公>)
 本歌と次歌はいわば異伝歌。前歌の異伝歌だとすると、疑問。結句が「思ほゆる君」となっているからである。通常「君」は女性から男性に向かって使われるからである。車持朝臣千年を女性と考えれば不審はない。が、一般に朝臣は男性の臣下なので女性とは解しづらい。他方、元正天皇は女帝なので、吉野行幸に女官が混じっていたと考えても少しも不自然ではない。なので本歌はすなおに女官の歌と解したらいかがだろう。つれて前歌と前々歌の「妻」は「あのお方」とする必要が生ずる。本歌は平明歌
 「千鳥がなく吉野川の川音はやむ時がないが、同じようにあのお方への思いはやむときがありません」という歌である。

0916   あかねさす日並べなくに我が恋は吉野の川の霧に立ちつつ
      (茜刺 日不並二 吾戀 吉野之河乃 霧丹立乍)
 「あかねさす」は、いやが応でも額田王の高名な「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」(20番歌)を思い起こさせる。枕詞ないし「輝かしい」という意味。「日並(ひなら)べなくに」は「多くの日数がたったわけでもないのに」という意味である。「吉野の川の霧に立ちつつ」は実景でありながら非常にロマンチックな言い回しとなっている。
 「(都から離れて)多くの日数がたったわけでもないのに立ち上る霧を見ているとあの方への恋しさが募ってくる」という歌である。
 左注に「右の歌は年月不明。けれども内容が類似しているのでここに登載。或本には「養老七年(723年)五月に第四十四代元正天皇が吉野の離宮に行幸された際に作った歌」とある。

 頭注に「神龜元年甲子(724年)冬十月五日、第四十五代聖武天皇が紀伊國に行幸された際、山部宿祢赤人が作った歌と短歌」とある。紀伊國はほぼ今の和歌山県。
0917番 長歌
   やすみしし 我ご大君の 常宮と 仕へ奉れる 雑賀野ゆ そがひに見ゆる 沖つ島 清き渚に 風吹けば 白波騒き 潮干れば 玉藻刈りつつ 神代より しかぞ貴き 玉津島山
   (安見知之 和期大王之 常宮等 仕奉流 左日鹿野由 背匕尓所見 奥嶋 清波瀲尓 風吹者 白浪左和伎 潮干者 玉藻苅管 神代従 然曽尊吉 玉津嶋夜麻)

 「やすみしし」は枕詞。「常宮(とこみや)」は皇居は都にあるので、ここは離宮。雑賀野(さいかの)は和歌山市の南西にある雑賀崎一帯。沖つ島は後出の玉津島のこと。その玉津島は和歌浦に浮かんでいたとされる島の一つ。和歌浦は和歌山市南部の海岸。紀三井寺駅の西方に当たる。当時は沖つ島のほかに現在陸地になっている鏡山、船頭山等々海中の島々として浮かんでいた、という。今は雑賀崎の東方に鎮座する玉津島神社がある。

 (口語訳)
  われらが大君の常宮(離宮)としてお仕え申し上げる雑賀野の、その背後に見える沖の島。清らかな渚に風が吹くと、白波が立ち騒ぐ。潮が引けば藻を刈り取ってきた。神代の昔より貴い、その沖の島、玉津島。

 反歌二首
0918   沖つ島の玉藻潮干満ちい隠りゆかば思ほえむかも
      (奥嶋 荒礒之玉藻 潮干満 伊隠去者 所念武香聞)
 沖つ島は前歌で記したように玉津島のこと。「い隠り」は強意のい。
 「沖の島(玉津島)の藻は、潮が満ちてきて隠されてゆけばどうなってしまうのだろう」という歌である。

0919   若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る
      (若浦尓 塩満来者 滷乎無美 葦邊乎指天 多頭鳴渡)
 「潟をなみ」は「~ので」のみ。「干潟が覆われてなくなるので」という意味である。 「若の浦に潮が満ちてくると、干潟が覆われてなくなるので、鶴たちが葦辺(あしべ)に向かって鳴きながら飛んでいく」という歌である。
 左注に「作歌年月が不記載だが、玉津島に随行の際の歌なのでここに登載した」とある。
               (2018年2月9日記)
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