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万葉集読解・・・65-2(920~927番歌)

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     万葉集読解・・・65-2(920~927番歌)
 頭注に「神龜二年乙丑(725年)夏五月、四十五代聖武天皇が吉野の離宮に行幸された際、笠朝臣金村(かさのあそみかなむら)が作った歌と短歌」とある。この行幸は『続日本紀』には見えない。逆に本歌の注によって行幸があったことが知られる。金村は行幸に従駕の際の作が多い宮廷歌人。
0920番 長歌
   あしひきの み山もさやに 落ちたぎつ 吉野の川の 川の瀬の 清きを見れば 上辺には 千鳥しば鳴く 下辺には かはづ妻呼ぶ ももしきの 大宮人も をちこちに 繁にしあれば 見るごとに あやに羨しみ 玉葛 絶ゆることなく 万代に かくしもがもと 天地の 神をぞ祈る 畏くあれども
   (足引之 御山毛清 落多藝都 芳野<河>之 河瀬乃 浄乎見者 上邊者 千鳥數鳴 下邊者 河津都麻喚 百礒城乃 大宮人毛 越乞尓 思自仁思有者 毎見 文丹乏 玉葛 絶事無 萬代尓 如是霜願跡 天地之 神乎曽祷 恐有等毛)

  長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「あしひきの」、「ももしきの」は枕詞。「上辺には」と「下辺には」は「上流と下流」を示している。

 (口語訳)
  「み山も清々しく、滝壺に落下してたぎりたつ、その吉野の川の川瀬の清らかなこと。上流には千鳥がしきりに鳴き、下流には蛙(河鹿)が妻を呼んでいる。随行してきた大宮人もあちこちにしきりに往来している。こうした光景を見るとまことにすばらしく、絶えることなく未来永劫にこうあってほしいと、天地の神々にお祈りを捧げる、恐れ多いことであるが。

 反歌二首
0921   万代に見とも飽かめやみ吉野のたぎつ河内の大宮所
      (萬代 見友将飽八 三芳野乃 多藝都河内乃 大宮所)
 「万代(よろずよ)に」は「未来永劫に」である。「見とも飽かめや」の「見とも」は「見続けていても」の省略形か?。「河内の」は「川の上の」という意味である。離宮から、滝壺に落下していく滝の様子がよく見られたようである。
 「いつまで見続けていても飽きることがない。ここ川の上に建っている大宮所から眺める吉野川のたぎりたつ様子は」という歌である。

0922   皆人の命も我れもみ吉野の滝の常磐の常ならぬかも
      (人皆乃 壽毛吾母 三<吉>野乃 多吉能床磐乃 常有沼鴨)
 「皆人の命も我れも」の「皆」は離宮にやってきている人々のことをさしているのだろう。「ここにいる皆様方も私の命も」という意味である。「常磐(ときは)」は「永遠に」という意味。
  「ここにいる皆様方も私の命も、ここみ吉野の滝のように未来永劫に不変であってくれたなら」という歌である。

 頭注に「山部宿祢赤人(やまべのすくねあかひと)が作った歌二首と短歌」とある。赤人は伝未詳なるも自然を詠った代表的万葉歌人。
0923番 長歌
   やすみしし 我ご大君の 高知らす 吉野の宮は たたなづく 青垣隠り 川なみの 清き河内ぞ 春へは 花咲きををり 秋されば 霧立ちわたる その山の いやしくしくに この川の 絶ゆることなく ももしきの 大宮人は 常に通はむ
   (八隅知之 和期大王乃 高知為 芳野宮者 立名附 青垣隠 河次乃 清河内曽 春部者 花咲乎遠里 秋去者 霧立渡 其山之 弥益々尓 此河之 絶事無 百石木能 大宮人者 常将通)

  「たたなづく」は194番歌に使われているように、「重なり合う」という意味。「青垣隠り」は「青い垣根に囲まれた」という意味である。

 (口語訳)
 我れら大君が治められている吉野の宮は、幾重にも重なり合った山々で、青い垣根に囲まれた清らかな川の上にある。春には花が咲き誇り、秋がやって来ると、霧が一面に立ちこめる。重なり合う山々のようにしげしげと、清らかに流れ下る川のように絶えることなく、大宮人たちがやって来る。

 反歌二首
0924   み吉野の象山の際の木末にはここだも騒く鳥の声かも
      (三吉野乃 象山際乃 木末尓波 幾許毛散和口 鳥之聲可聞)
 象山(きさやま)は宮滝の前にそびえる山。際(ま)は谷間。木末(こぬれ)は梢。「ここだも」は「しきりに」という意味。
 「吉野の宮の宮滝の前にそびえる象山(きさやま)の谷間。その木々の梢には騒がしいまでにしきりに鳥の鳴く声が聞こえて来る」という歌である。

0925   ぬばたまの夜の更けゆけば久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く
      (烏玉之 夜之深去者 久木生留 清河原尓 知鳥數鳴)
 「ぬばたまの」はお馴染みの枕詞。久木(ひさぎ)はキササゲないしアカメガシワの木と言われる。本歌の千鳥は特定の鳥ではなく「数多くの鳥たち」というほどの意味だと思われる。
 「夜が更けてゆくにつれ、久木(ひさぎ)の生える清らかな川原では千鳥がしきりに鳴きたてている」という歌である。

0926番 長歌(赤人第二の長歌)
   やすみしし 我ご大君は み吉野の 秋津の小野の 野の上には 跡見据ゑ置きて み山には 射目立て渡し 朝狩に 獣踏み起し 夕狩に 鳥踏み立て 馬並めて 御狩ぞ立たす 春の茂野に
   (安見知之 和期大王波 見吉野乃 飽津之小野笶 野上者 跡見居置而 御山者 射目立渡 朝猟尓 十六履起之 夕狩尓 十里蹋立 馬並而 御<猟>曽立為 春之茂野尓)

  秋津の小野は吉野の宮滝にあった離宮一帯の野。跡見(とみ)は鳥獣の足跡を探る役目の者。射目(いめ)は鳥獣を待ち伏せて射る場所。

 (口語訳)
  我れらが大君は、吉野の秋津の野に、鳥獣の足跡を探る役目の者を置き、山には鳥獣を射る者を射目(いめ)に配置し、朝の狩りには獣を追い立て、夕狩りには鳥を追い立たせ、馬を並べて御狩をなさる。春の草木が茂る野で。

 反歌一首
0927   あしひきの山にも野にも御狩人さつ矢手挾み騒きてあり見ゆ
      (足引之 山毛野毛 御<猟>人 得物矢手<挟> 散動而有所見)
 「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「さつ矢」は狩り用の矢。
 「山中にも野原にも狩りを楽しむ人たちが弓矢を手挟んで走り回っているのが見える」という歌である。
 左注に「前歌との先後関係が不明なため便宜上ここに登載する」とある。すなわち、923番の長短歌と926番の長短歌のどちらが先に出来たか分からないという意味である。
             (2018年2月11日記)
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