Quantcast
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1223

万葉集読解・・・66ー2(942~949番歌)


     万葉集読解・・・66ー2(942~949番歌)
   頭注に「辛荷(からに)の島を過ぎるときに山部宿祢赤人が作った歌と短歌」とある。「辛荷(からに)の島」は、兵庫県たつの市の唐荷島(からにしま)のことで、御津町室津の先に浮かぶ3つの無人島。赤人は代表的万葉歌人。
0942番 長歌
   あぢさはふ 妹が目離れて 敷栲の 枕もまかず 桜皮巻き 作れる船に 真楫貫き 我が漕ぎ来れば 淡路の 野島も過ぎ 印南つま 辛荷の島の 島の際ゆ 我家を見れば 青山の そことも見えず 白雲も 千重になり来ぬ 漕ぎ廻むる 浦のことごと 行き隠る 島の崎々 隈も置かず 思ひぞ我が来る 旅の日長み
   (味澤相 妹目不數見而 敷細乃 枕毛不巻 櫻皮纒 作流舟二 真梶貫 吾榜来者 淡路乃 野嶋毛過 伊奈美嬬 辛荷乃嶋之 嶋際従 吾宅乎見者 青山乃 曽許十方不見 白雲毛 千重尓成来沼 許伎多武流 浦乃盡 徃隠 嶋乃埼々 隈毛不置 憶曽吾来 客乃氣長弥)

  長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「あぢさはふ」と「敷栲(しきたへ)の」は枕詞。「桜皮(かには)巻き」はシラカバの古名とも言われるが、防水にその皮を舟に巻いたらしい。「印南つま」は「印南のさき」で、兵庫県明石市加古川の河口とされる。「隈(くま)も置かず」は「どの曲がり角も」という意味である。

 (口語訳)
  彼女から離れ(別れ)共寝もしないまま、桜皮(かには)を巻いて作った船の両舷に梶を取り付け、ここまで漕いできた。淡路の国の野島も過ぎ、加古川の河口を過ぎて、唐荷島(からにしま)のそばにやってきた。そこから我が家の方を見たけれど、青々と重なる山々のどのあたりが我が家の方向なのか見当がつかない。白雲も幾重にも重なって、漕ぎめぐってきた浦々のことごとくが隠れ、島々の御崎という御崎も隠れてしまった。そのことごとくどの曲がりかども見逃さず故郷大和の方向に目を注いできた、ああ、我が家への思いがつのる。旅路の日々が長くなってきたので。

 反歌三首
0943   玉藻刈る辛荷の島に島廻する鵜にしもあれや家思はずあらむ
      (玉藻苅 辛荷乃嶋尓 嶋廻為流 水烏二四毛有哉 家不念有六)
 「辛荷(からに)の島」は前歌頭注参照。唐荷島。「島廻する鵜」は「島を回っている鵜」という意味。「鵜にしもあれや」は「鵜だというのか」という意味である。
 「藻を刈り取っている唐荷島をめぐる鵜の鳥だとでもいうのか、この私は。いえいえ鵜ではないから故郷(大和)が恋しくてならない」という歌である。

0944   島隠り我が漕ぎ来れば羨しかも大和へ上る真熊野の船
      (嶋隠 吾榜来者 乏毳 倭邊上 真熊野之船)
 結句の「真熊野の船」だが、真性熊野船のこと。熊野で作られた船は高級船とされていて羨ましがられていた。故郷大和を思い出させるという意味も込められている。
 「島を巡りながら漕いで来た粗末な船の私。ああ羨ましい。あの船は故郷の大和へ上っていく立派な熊野製の船ではないか」という歌である。

0945   風吹けば波か立たむとさもらひに都太の細江に浦隠り居り
      (風吹者 浪可将立跡 伺候尓 都太乃細江尓 浦隠居)
 「さもらひに」は原文に当たると分かるが「伺候に」で、「控えて様子をうかがう」という意味である。「都太(つだ)の細江」は姫路市飾麿区の地名で、その河口付近。都太は津田で津田村があった所。つまり唐荷島からかなり東へ、大和に向かって進んだ所に当たる。
 「風が吹いてきて荒れそうな気配だから、都太(つだ)の細江に待避している」という歌である。

 頭注に「敏馬の浦を通過する際、山部赤人が詠んだ歌と短歌」とある。敏馬(みぬめ)の浦は神戸港の東方にあった浦だという。
0946番 長歌
   御食向ふ 淡路の島に 直向ふ 敏馬の浦の 沖辺には 深海松採り 浦廻には 名のりそ刈る 深海松の 見まく欲しけど 名のりその おのが名惜しみ 間使も 遣らずて我れは 生けりともなし
   (御食向 淡路乃嶋二 直向 三犬女乃浦能 奥部庭 深海松採 浦廻庭 名告藻苅 深見流乃 見巻欲跡 莫告藻之 己名惜三 間使裳 不遣而吾者 生友奈重二)

  「御食(みけ)向ふ」は933番長歌に「御食(みけ)つ国」(大君に水産物等を奉る国)として淡路島が詠いこまれていた。ここも同様で淡路島を指す。「海松(みる)」は海草の一種で、ミル目。したがって「深海松」は「海中深くの海松(みる)」。「名のりそ」は海藻でホンダワラの古名。「名を告げる」という意味にかけて使われることが多い。

 (口語訳)
   御食(みけ)の国、淡路島に、まっすぐ正面に向かい合う敏馬(みぬめ)の浦。その沖では海中深くの海草、海松(みる)を採取する。浦の海岸周辺では名のりそを刈り取るという。深海松は是非見たいし、名のりそは名のるのが惜しくて、使いの者もやらず、どうしようもない。なので、生きた心地がしない。

 反歌一首
0947   須磨の海人の塩焼き衣の慣れなばか一日も君を忘れて思はむ
      (為間乃海人之 塩焼衣乃 奈礼名者香 一日母君乎 忘而将念)
 「須磨の海人」は神戸の浜で塩焼きに従事する人々。「衣の慣れなばか」は「作業着を着慣れる」という意味である。「長くつきあって慣れ親しんでしまえば」という「男女の仲の寓意」と取る解もあり得る。後者に取るのは長歌が遠方からの光景歌なので無理。「伊藤本」や「中西本」は、この歌は女の立場から歌われていると解しているが疑問。男が敬愛する女性を君と呼ぶ例は皆無ではなく、本歌はそのまま素直に「旅の途上にある山部赤人が大和にいる女性を思っての歌」と解すべきだろう。
 「須磨の人々が塩焼きに従事する作業着のように、旅に慣れ親しんでしまえば一日くらいはあなたのことが忘れられるだろうか、忘れようがない」という歌である。
 本歌には左注が就いていて、「右は作歌年月不詳だけれども歌の内容からしてここに登載するのが妥当である」という旨の記載がしてある。

 ここの長短歌が作られた経緯は頭注と反歌の左注に詳細に記されている。概略だけで用は足りると思うので、概要を紹介しておこう。次の通り。
 「神亀四年(727年)正月に四十五代聖武天皇は皇子たちや高官を集めて鞠遊びに興じられた。が、急に雷雨に見舞われ、宮に入られたが、お付きの者たちが誰もいなかった。その罰として天皇はこの者たちに外出禁止を申し渡された。その際、作られた歌。作者不詳。」
0948番 長歌
   ま葛延ふ 春日の山は うち靡く 春さりゆくと 山の上に 霞たなびく 高円に 鴬鳴きぬ もののふの 八十伴の男は 雁が音の 来継ぐこの頃 かく継ぎて 常にありせば 友並めて 遊ばむものを 馬並めて 行かまし里を 待ちかてに 我がする春を かけまくも あやに畏し 言はまくも ゆゆしくあらむと あらかじめ かねて知りせば 千鳥鳴く その佐保川に 岩に生ふる 菅の根採りて 偲ふ草 祓へてましを 行く水に みそぎてましを 大君の 命畏み ももしきの 大宮人の 玉桙の 道にも出でず 恋ふるこの頃
   (真葛延 春日之山者 打靡 春去徃跡 山上丹 霞田名引 高圓尓 鴬鳴沼 物部乃 八十友能<壮>者 折<木>四哭之 来継<比日 如>此續 常丹有脊者 友名目而 遊物尾 馬名目而 徃益里乎 待難丹 吾為春乎 决巻毛 綾尓恐 言巻毛 湯々敷有跡 豫 兼而知者 千鳥鳴 其佐保川丹 石二生 菅根取而 之努布草 解除而益乎 徃水丹 潔而益乎 天皇之 御命恐 百礒城之 大宮人之 玉桙之 道毛不出 戀比日)

  「うち靡く」は19例あって、「春」にかかるのが14例。枕詞と確定してよいが、「わが黒髪」(2例)、「玉藻刈りけむ」と靡くものにもかかる。若干枕詞(?)としなければならない。「もののふの」、「かけまくも」、「ももしきの」等は枕詞。春日山は奈良市春日神社の東にある山。高円(たかまど)山はその南に連なる。佐保川は奈良市の北部を流れる川。

 (口語訳)
  「葛が這う春日の山に春がやって来ると、山の上に霞がたなびく。高円(たかまど)山にはウグイスが鳴く。宮仕えの多くの男は雁が寒い地に次々に帰っていくこの季節、普通なら友と連れだって、また、馬を並べて野外に出かけるこの季節、待ち遠しかった春。が、心にかけるのも、また、言葉に出すのも恐れ多いことになってしまった。こんなことになるんだったら、千鳥が鳴くあの佐保川で、岩に生える菅(すげ)の根を抜き取り、憂いの元を水に流して取り払っておけばよかった。大君の恐れ多い禁令が出て、大宮人たちは道に出ることも出来ず、春の野山を恋い焦がれている。

 反歌一首
0949   梅柳過ぐらく惜しみ佐保の内に遊びしことを宮もとどろに
      (梅柳 過良久惜 佐保乃内尓 遊事乎 宮動々尓)
 「梅柳(うめやなぎ)過ぐらく惜しみ」は「今を盛りの梅や柳の季節が過ぎるのを惜しみ」という意味である。佐保の内は佐保川一帯。「宮もとどろに」は「宮廷じゅうが大騒ぎ」という意味。
 「今を盛りの梅や柳の季節が過ぎるのが惜しいので、その梅柳をひとめ楽しもうと佐保川に外出したばっかりに、宮廷じゅうが大騒ぎになってしまった」という歌である。
             (2018年2月18日記)
Image may be NSFW.
Clik here to view.
イメージ 1


Viewing all articles
Browse latest Browse all 1223

Trending Articles