万葉集読解・・・67(950~961番歌)
頭注に「神亀五年(728年)、四十五代聖武天皇、難波宮に行幸の際、作歌された四首」とある。作者不記載。
0950 大君の境ひたまふと山守据ゑ守るといふ山に入らずはやまじ
(大王之 界賜跡 山守居 守云山尓 不入者不止)
この四首は男女の求愛に託して詠われた歌とされる。なるほどだが、例え方にきわどい点があり、今少し検討を要する。
つまり、本歌を天皇が愛している女性の寓意とすれば、それをわざわざ記録にとどめるだろうかという疑問が湧く。私にはかなり大胆できわどい行為に思われる。そこで、ここは文字通りの解釈にとどめておきたい。「天皇が山守を置いて管理されている山であっても入らずにはいられない」という風に。
「天皇が山守を置いて管理されている山は入らずにはいられないほどすばらしい山である」という歌である。
頭注に「神亀五年(728年)、四十五代聖武天皇、難波宮に行幸の際、作歌された四首」とある。作者不記載。
0950 大君の境ひたまふと山守据ゑ守るといふ山に入らずはやまじ
(大王之 界賜跡 山守居 守云山尓 不入者不止)
この四首は男女の求愛に託して詠われた歌とされる。なるほどだが、例え方にきわどい点があり、今少し検討を要する。
つまり、本歌を天皇が愛している女性の寓意とすれば、それをわざわざ記録にとどめるだろうかという疑問が湧く。私にはかなり大胆できわどい行為に思われる。そこで、ここは文字通りの解釈にとどめておきたい。「天皇が山守を置いて管理されている山であっても入らずにはいられない」という風に。
「天皇が山守を置いて管理されている山は入らずにはいられないほどすばらしい山である」という歌である。
0951 見わたせば近きものから岩隠りかがよふ玉を取らずはやまじ
(見渡者 近物可良 石隠 加我欲布珠乎 不取不巳)
先ず、「かがよふ玉を」の「かがよふ」。「岩波大系本」は補注まで設けて詳細に解説している。「かがよふ」は本歌のほかにもう一例万葉集にある。2642番歌の「燈火の影にかがよふうつせみの妹が笑まひし面影に見ゆ」である。万葉集ではないが他の文献に見える例をも並べながら結論として「(かがよふは)ちらちらと光ってゆれている意。」としている。「岩波大系本」が挙げているのはこの歌例のように、「燈火の影」に揺れる例。「ちらちらと光ってゆれている」のは当たり前である。本歌の場合は「見わたせば」で分かるように真昼の浜辺の光景。「かがやいている玉」と解するのが自然である。
それより「近きものから」が問題。「岩波大系本」始め「伊藤本」、「中西本」ともみな「近くにあるものの」と解している。「遠くにあるものの」なら分かるが「近くにあるものの」と解しては意味不明瞭である。「遠くにあっても光っているから」なら分かるが、近くで光っていれば目に入るのは当たり前。ここは「近くにあって」という意味に相違ない。
「浜辺に立って見渡してみると、近くにあって岩陰に光り輝いている玉がある。その玉を手中にしないでおくものか」という歌である。
(見渡者 近物可良 石隠 加我欲布珠乎 不取不巳)
先ず、「かがよふ玉を」の「かがよふ」。「岩波大系本」は補注まで設けて詳細に解説している。「かがよふ」は本歌のほかにもう一例万葉集にある。2642番歌の「燈火の影にかがよふうつせみの妹が笑まひし面影に見ゆ」である。万葉集ではないが他の文献に見える例をも並べながら結論として「(かがよふは)ちらちらと光ってゆれている意。」としている。「岩波大系本」が挙げているのはこの歌例のように、「燈火の影」に揺れる例。「ちらちらと光ってゆれている」のは当たり前である。本歌の場合は「見わたせば」で分かるように真昼の浜辺の光景。「かがやいている玉」と解するのが自然である。
それより「近きものから」が問題。「岩波大系本」始め「伊藤本」、「中西本」ともみな「近くにあるものの」と解している。「遠くにあるものの」なら分かるが「近くにあるものの」と解しては意味不明瞭である。「遠くにあっても光っているから」なら分かるが、近くで光っていれば目に入るのは当たり前。ここは「近くにあって」という意味に相違ない。
「浜辺に立って見渡してみると、近くにあって岩陰に光り輝いている玉がある。その玉を手中にしないでおくものか」という歌である。
0952 韓衣着奈良の里(筆者解=福良の里)の嶋松に玉をし付けむよき人もがも
(韓衣 服楢乃里之 嶋待尓 玉乎師付牟 好人欲得食)
難解視されている歌である。
先ず初句の「韓衣(からころも)」。「岩波大系本」は「着るにかかる枕詞」としている。「からころも」は全万葉集歌中本歌のほかに4例ある。全例掲げると次のとおりである。
A:「韓衣龍田の山は」(2194番歌)
B:「韓衣裾のあはずて」(2619番歌)
C:「韓衣君にうち着せ」(2682番歌)
D:「韓衣裾のうち交へ」(3482番歌)
ご覧のように、着るにかかっている例は一例もない。わずかに「C」の「君にうち着せ」が一見着るにかかっているように見える。が、これは枕詞ではなく、「韓衣(中国服)を着せる」という行為を示していること一読しただけで明白。決して枕詞ではない。本歌読解のヒントは「A」の「韓衣龍田の山は」にある。「きらびやかな美しい韓衣のような龍田の山は」という意味に相違ない。
次に「着奈良の里」だが、原文に「服楢乃里」とある。これは淡路島の南あわじ市にある福良港のことに相違ない。行幸先の難波から福良まで船で近い。私には「服楢」は「福良」としか読めない。どう読んだら「着奈良」などと読めるのか伺いたいくらいである。
以上、「韓衣」を枕詞と解し、「服楢」を「着奈良」などと読んだのではちんぷんかんぷんの歌となるのは必定である。
「韓衣のように美しい福良の浜辺に生えている島の松に付けて飾るにふさわしい玉のように美しい人がいてくれたらなあ」という歌である。
(韓衣 服楢乃里之 嶋待尓 玉乎師付牟 好人欲得食)
難解視されている歌である。
先ず初句の「韓衣(からころも)」。「岩波大系本」は「着るにかかる枕詞」としている。「からころも」は全万葉集歌中本歌のほかに4例ある。全例掲げると次のとおりである。
A:「韓衣龍田の山は」(2194番歌)
B:「韓衣裾のあはずて」(2619番歌)
C:「韓衣君にうち着せ」(2682番歌)
D:「韓衣裾のうち交へ」(3482番歌)
ご覧のように、着るにかかっている例は一例もない。わずかに「C」の「君にうち着せ」が一見着るにかかっているように見える。が、これは枕詞ではなく、「韓衣(中国服)を着せる」という行為を示していること一読しただけで明白。決して枕詞ではない。本歌読解のヒントは「A」の「韓衣龍田の山は」にある。「きらびやかな美しい韓衣のような龍田の山は」という意味に相違ない。
次に「着奈良の里」だが、原文に「服楢乃里」とある。これは淡路島の南あわじ市にある福良港のことに相違ない。行幸先の難波から福良まで船で近い。私には「服楢」は「福良」としか読めない。どう読んだら「着奈良」などと読めるのか伺いたいくらいである。
以上、「韓衣」を枕詞と解し、「服楢」を「着奈良」などと読んだのではちんぷんかんぷんの歌となるのは必定である。
「韓衣のように美しい福良の浜辺に生えている島の松に付けて飾るにふさわしい玉のように美しい人がいてくれたらなあ」という歌である。
0953 さを鹿の鳴くなる山を越え行かむ日だにや君がはた逢はざらむ
(竿鹿之 鳴奈流山乎 越将去 日谷八君 當不相将有)
「君がはた逢はざらむ」の君は男性ではなく、女性を指している一例。左注に作者は男性とある。大和を出る日、彼女に問いかけた歌。
「牡鹿が鳴いているこの山を越えようとしている日なのに、それでもあなたは逢ってくれませんか」という歌である。
左注に「『笠朝臣金村(かさのあそみかなむら)歌集』にあるが車持朝臣千年(くるまもちのあそみちとせ)の歌とも言われている。」とある。つまり作者は男性と解されている。
(竿鹿之 鳴奈流山乎 越将去 日谷八君 當不相将有)
「君がはた逢はざらむ」の君は男性ではなく、女性を指している一例。左注に作者は男性とある。大和を出る日、彼女に問いかけた歌。
「牡鹿が鳴いているこの山を越えようとしている日なのに、それでもあなたは逢ってくれませんか」という歌である。
左注に「『笠朝臣金村(かさのあそみかなむら)歌集』にあるが車持朝臣千年(くるまもちのあそみちとせ)の歌とも言われている。」とある。つまり作者は男性と解されている。
頭注に「膳王(かしはでのおほきみ)の歌」とある。膳王は長屋王の子。
0954 朝には海辺にあさりし夕されば大和へ越ゆる雁し羨しも
(朝波 海邊尓安左里為 暮去者 倭部越 鴈四乏母)
「朝(あした)には」は第三句の「夕されば」と対で使用されているので、「日中は」と解してよかろう。「あさりし」は「魚を漁る」こと。
「日中は海辺で魚を漁り、夕方には大和へ超えていくそんな雁たちがうらやましい」という歌である。
左注に「作歌年は不詳だが歌の内容から考えてここに登載する」とある。
0954 朝には海辺にあさりし夕されば大和へ越ゆる雁し羨しも
(朝波 海邊尓安左里為 暮去者 倭部越 鴈四乏母)
「朝(あした)には」は第三句の「夕されば」と対で使用されているので、「日中は」と解してよかろう。「あさりし」は「魚を漁る」こと。
「日中は海辺で魚を漁り、夕方には大和へ超えていくそんな雁たちがうらやましい」という歌である。
左注に「作歌年は不詳だが歌の内容から考えてここに登載する」とある。
頭注に「大宰小貳石川朝臣足人(だざいのせうにいしかはのあそみたるひと)の歌」とある。大宰小貳は太宰府次官大貳の部下。
0955 さす竹の大宮人の家と住む佐保の山をば思ふやも君
(刺竹之 大宮人乃 家跡住 佐保能山乎者 思哉毛君)
「さす竹の」を「岩波大系本」や「伊藤本」は「大宮」にかかる枕詞としている。が、別に「ももしきの」という著名な枕詞が20例もあり、すべて例外なく「大宮」にかかっている。「さす竹の」は8例あるが、その半分の4例しか「大宮」にかかっていない。「ももしきの」との相違の説明もなく、たんに「大宮」にかかる枕詞と言われてもとまどうばかりである。不詳なら不詳とすればいいわけで、枕詞(?)とせざるを得ない。本歌に対し、大伴旅人(太宰府長官)が次歌で応えているので、結句の「思ふやも君」の君は旅人のことである。「長官どの」というニュアンスである。
第三句の「家と住む」は耳慣れない表現である。原文の「家跡住」をどう訓じたらよいかわからないが「家と住む」では奇妙である。一応「家里(故郷)として住む」という意味にとっておきたい。「長官どののような大宮人たちが、故郷として住んでいる里の佐保。その佐保山を思っておいででしょうか」という歌である。
0955 さす竹の大宮人の家と住む佐保の山をば思ふやも君
(刺竹之 大宮人乃 家跡住 佐保能山乎者 思哉毛君)
「さす竹の」を「岩波大系本」や「伊藤本」は「大宮」にかかる枕詞としている。が、別に「ももしきの」という著名な枕詞が20例もあり、すべて例外なく「大宮」にかかっている。「さす竹の」は8例あるが、その半分の4例しか「大宮」にかかっていない。「ももしきの」との相違の説明もなく、たんに「大宮」にかかる枕詞と言われてもとまどうばかりである。不詳なら不詳とすればいいわけで、枕詞(?)とせざるを得ない。本歌に対し、大伴旅人(太宰府長官)が次歌で応えているので、結句の「思ふやも君」の君は旅人のことである。「長官どの」というニュアンスである。
第三句の「家と住む」は耳慣れない表現である。原文の「家跡住」をどう訓じたらよいかわからないが「家と住む」では奇妙である。一応「家里(故郷)として住む」という意味にとっておきたい。「長官どののような大宮人たちが、故郷として住んでいる里の佐保。その佐保山を思っておいででしょうか」という歌である。
頭注に「帥(そち)大伴卿が応えた歌」とある。帥は太宰府長官。大伴卿は大伴旅人。
0956 やすみしし我が大君の食す国は大和もここも同じとぞ思ふ
(八隅知之 吾大王乃 御食國者 日本毛此間毛 同登曽念)
「やすみしし」は枕詞。「食(を)す国は」は「お治めになる国は」という意味。
「われらが大君がお治めになる国は、大和もここ筑紫も同じだと思う」という歌である。
0956 やすみしし我が大君の食す国は大和もここも同じとぞ思ふ
(八隅知之 吾大王乃 御食國者 日本毛此間毛 同登曽念)
「やすみしし」は枕詞。「食(を)す国は」は「お治めになる国は」という意味。
「われらが大君がお治めになる国は、大和もここ筑紫も同じだと思う」という歌である。
頭注に「「神亀5年(728年)冬十一月、大宰府の官人たちが香椎廟(かしひのみや)を参拝しての帰途、香椎浦(かしひのうら)に馬を駐めて各々が作った歌一首づつ」とある。957~959番歌がこの時の歌と思われる。香椎宮は福岡市東区、香椎の地に鎮座する廟で、仲哀天皇と神功皇后を祭っている。太宰府長官大伴旅人の歌。
0957 いざ子ども香椎の潟に白栲の袖さへ濡れて朝菜摘みてむ
(去来兒等 香椎乃滷尓 白妙之 袖左倍所沾而 朝菜採手六)
「いざ子ども」はすでに63番歌や280番歌に出てきたように、身内や部下を親しみをこめて呼ぶ言い方。ここでは「一同」ほどの意味。「香椎の潟」はむろん「香椎浦」。「白栲の」は「真っ白な」という意味。朝菜(あさな)は次歌から藻のことと分かる。朝摘むので朝菜といった。
「さあ一同、ここ香椎の潟で真っ白な袖さえぬれるのもかまわず、藻を摘み取ろうではないか」という歌である。
0957 いざ子ども香椎の潟に白栲の袖さへ濡れて朝菜摘みてむ
(去来兒等 香椎乃滷尓 白妙之 袖左倍所沾而 朝菜採手六)
「いざ子ども」はすでに63番歌や280番歌に出てきたように、身内や部下を親しみをこめて呼ぶ言い方。ここでは「一同」ほどの意味。「香椎の潟」はむろん「香椎浦」。「白栲の」は「真っ白な」という意味。朝菜(あさな)は次歌から藻のことと分かる。朝摘むので朝菜といった。
「さあ一同、ここ香椎の潟で真っ白な袖さえぬれるのもかまわず、藻を摘み取ろうではないか」という歌である。
頭注に「大貳小野老朝臣(をののおゆのあそみ)の歌」とある。大貳(だいに)は太宰府次官。
0958 時つ風吹くべくなりぬ香椎潟潮干の浦に玉藻刈りてな
(時風 應吹成奴 香椎滷 潮干汭尓 玉藻苅而名)
「時つ風」は「時に吹く風」のことで、一定の時間に吹く風。ここでは満潮時の風と考えられている。
「満潮時の風が吹く時刻が近づいてきた。香椎潟に潮が引いている内に玉藻を刈り終えてしまおう」という歌である。
0958 時つ風吹くべくなりぬ香椎潟潮干の浦に玉藻刈りてな
(時風 應吹成奴 香椎滷 潮干汭尓 玉藻苅而名)
「時つ風」は「時に吹く風」のことで、一定の時間に吹く風。ここでは満潮時の風と考えられている。
「満潮時の風が吹く時刻が近づいてきた。香椎潟に潮が引いている内に玉藻を刈り終えてしまおう」という歌である。
頭注に「豊前守(とよのみちのくちのかみ)宇努首男人(うののおびとをひと)の歌」とある。豊前守は豊前国長官。豊前国は福岡県東部から大分県北部にかけてあった国。男人(をひと)は百済系渡来人の子孫とされ、養老四年(720年)から豊前守。
0959 行き帰り常に我が見し香椎潟明日ゆ後には見むよしもなし
(徃還 常尓我見之 香椎滷 従明日後尓波 見縁母奈思)
豊前国府は、太宰府の東方、山地を隔てた遠方にあり、道程五、六十キロ以上ある。しばしばではとてもじゃない距離。ただ、馬なら一日で行けよう。その間を連絡や打ち合わせなどで男人(をひと)は、ときおり、大伴旅人のもとへ足を運んでいたに相違ない。香椎潟は太宰府から北方40キロ余。男人と旅人は連れだって出かけていたことだろう。「行き帰り常に我が見し香椎潟」はこういう状況を示している。
「明日ゆ後には」の「ゆ」は起点を示す。「明日より」という意味である。「見むよしもなし」は「もう見る機会がない」という意味。男人は豊前守から大和に転任することになったのだろうか。
「行きも帰りも通い慣れた香椎潟、明日からはその浦をみる機会もなくなってしまうのか」という歌である。
0959 行き帰り常に我が見し香椎潟明日ゆ後には見むよしもなし
(徃還 常尓我見之 香椎滷 従明日後尓波 見縁母奈思)
豊前国府は、太宰府の東方、山地を隔てた遠方にあり、道程五、六十キロ以上ある。しばしばではとてもじゃない距離。ただ、馬なら一日で行けよう。その間を連絡や打ち合わせなどで男人(をひと)は、ときおり、大伴旅人のもとへ足を運んでいたに相違ない。香椎潟は太宰府から北方40キロ余。男人と旅人は連れだって出かけていたことだろう。「行き帰り常に我が見し香椎潟」はこういう状況を示している。
「明日ゆ後には」の「ゆ」は起点を示す。「明日より」という意味である。「見むよしもなし」は「もう見る機会がない」という意味。男人は豊前守から大和に転任することになったのだろうか。
「行きも帰りも通い慣れた香椎潟、明日からはその浦をみる機会もなくなってしまうのか」という歌である。
頭注に「大伴旅人が遙か彼方の吉野離宮を偲んで作った歌」とある。
0960 隼人の瀬戸の巌も鮎走る吉野の瀧になほしかずけり
(隼人乃 湍門乃磐母 年魚走 芳野之瀧<尓> 尚不及家里)
「隼人(はやひと)の瀬戸」は248番歌に「隼人の薩摩の瀬戸を雲居なす遠くも我れは今日見つるかも」と詠われている。この瀬戸は薩摩国(鹿児島県)南方の瀬戸水道のことを指しているのだが、岩にはじける白波の美しさで有名だったようだ。
「美しい隼人(はやひと)の瀬戸の白波がはじける岩も、鮎が走る吉野の滝の美しさには及ばない」という歌である。
0960 隼人の瀬戸の巌も鮎走る吉野の瀧になほしかずけり
(隼人乃 湍門乃磐母 年魚走 芳野之瀧<尓> 尚不及家里)
「隼人(はやひと)の瀬戸」は248番歌に「隼人の薩摩の瀬戸を雲居なす遠くも我れは今日見つるかも」と詠われている。この瀬戸は薩摩国(鹿児島県)南方の瀬戸水道のことを指しているのだが、岩にはじける白波の美しさで有名だったようだ。
「美しい隼人(はやひと)の瀬戸の白波がはじける岩も、鮎が走る吉野の滝の美しさには及ばない」という歌である。
頭注に「大伴旅人が次田温泉に宿り、鶴の鳴き声を聞いて作った歌」とある。太宰府市の南に隣接する筑紫野市にある温泉だという。
0961 湯の原に鳴く葦鶴は我がごとく妹に恋ふれや時わかず鳴く
(湯原尓 鳴蘆多頭者 如吾 妹尓戀哉 時不定鳴)
「湯の原」は「次田温泉が湧き出る原」を指す。「葦鶴(あしたづ)」は「葦にいる鶴」。「時わかず鳴く」は「ひっきりなしに鳴いている」という意味。
「湯が湧き出る野の葦にいる鶴たちはひっきりなしに鳴いている。私のように妻が恋しくて鳴いているのだろうか」という歌である。
(2014年2月11日記)、(2018年2月21日記)
0961 湯の原に鳴く葦鶴は我がごとく妹に恋ふれや時わかず鳴く
(湯原尓 鳴蘆多頭者 如吾 妹尓戀哉 時不定鳴)
「湯の原」は「次田温泉が湧き出る原」を指す。「葦鶴(あしたづ)」は「葦にいる鶴」。「時わかず鳴く」は「ひっきりなしに鳴いている」という意味。
「湯が湧き出る野の葦にいる鶴たちはひっきりなしに鳴いている。私のように妻が恋しくて鳴いているのだろうか」という歌である。
(2014年2月11日記)、(2018年2月21日記)
Image may be NSFW.
Clik here to view.![イメージ 1]()
Clik here to view.