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万葉集読解・・・68-2(973~977番歌)


     万葉集読解・・・68-2(973~番歌)
 頭注に「四十五代聖武天皇、節度使卿等に酒を賜う時の御歌と短歌」とある。節度使卿(せつどしまへつきみ)は藤原宇合(ふぢはらのうまかひ)。
0973番 長歌
   食す国の 遠の朝廷に 汝らが かく罷りなば 平けく 我れは遊ばむ 手抱きて 我れはいまさむ 天皇我れ うづの御手もち かき撫でぞ ねぎたまふ うち撫でぞ ねぎたまふ 帰り来む日 相飲まむ酒ぞ この豊御酒は
   (食國 遠乃御朝庭尓 汝等之 如是退去者 平久 吾者将遊 手抱而 我者将御在 天皇朕 宇頭乃御手以 掻撫曽 祢宜賜 打撫曽 祢宜賜 将還来日 相飲酒曽 此豊御酒者)

  長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「食(を)す国の」は「支配する国の」という意味。「遠(とほ)の朝廷(みかど)は都から遠く離れた政庁。「うづの御手もち」は「尊貴な御手をもって」という意味。「ねぎたまふ」は「ねぎらい給う」ということ。

 (口語訳)
  朕が支配する国の遠い各地の政庁にお前たちを派遣すれば安心。平穏に構え、腕組みしてじっとしておればよかろう。天皇たる我れ。尊貴な御手をもって頭を掻き撫でねぎらうことだろう。身を撫でてねぎらうことだろう。お前たちが無事帰って来たら共に飲もうとする酒よ。この素晴らしい酒は。

 反歌一首
0974   大夫の行くといふ道ぞおほろかに思ひて行くな大夫の伴
      (大夫之 去跡云道曽 凡可尓 念而行勿 大夫之伴)
 「大夫(ますらを)の行くといふ道ぞ」は「勇者たちが行く道だぞ」ということである。「おほろかに思ひて」は「いい加減な気持ちで」という意味である。
 「皆のもの、これから出立する道は勇者たちが行く道だぞ。しっかりした気持ちで出発してほしい」という歌である。
 左注に「この御反歌は、或いは太上天皇(おほきすめらみこと)の御製歌という」とある。太上天皇は先の天皇、四十四代元正天皇。

 頭注に「中納言安倍廣庭卿(あへのひろにはのまへつきみ)の歌」とある。
0975   かくしつつあらくを好みぞたまきはる短き命を長く欲りする
      (如是為管 在久乎好叙 霊剋 短命乎 長欲為流)
 「かくしつつあらくを」は「こうしているのを」という意味。「好(よ)みぞ」は「心地よいからこそ」という意味である。「たまきはる」は枕詞。本歌は宴席の歌だと思われるが、いつ、どこで開かれた宴席か不明。971番長歌の頭注から藤原宇合(ふじはらのうまかひ)が西海道節度使に任ぜられたのは天平四年(732年)。反歌の左注には八月十七日とある。これに関連した宴席なら廣庭は出席不能。なぜなら廣庭は同年二月に没しているから。
 「こうしているのが心地よいからこそ、短い命であっても、長く生きていたいと思いまする」という歌である。

 頭注に「天平五年(733年)、草香山を超える時に、神社忌寸老麻呂(かみこそのいみきおゆまろ)が作った歌二首」とある。神社忌寸は氏(うじ)ではなく、職能集団を表しているものと思われるが、どんな集団か未詳。草香山(くさかやま)は奈良県生駒山の西の山である。
0976   難波潟潮干のなごりよく見てむ家なる妹が待ち問はむため
      (難波方 潮干乃奈凝 委曲見 在家妹之 待将問多米)
 「難波潟」は大阪湾。「よく見てむ」は「よく見ておこう」という意味。典型的な倒置表現。
 「家で待っている妻に難波潟のことが話題に出て尋ねられてもすぐ答えられるよう、潮が引いた後の様子をよく見ておこう」という歌である。

0977   直越のこの道にして押し照るや難波の海と名付けけらしも
      (直超乃 此徑尓<弖師> 押照哉 難波乃<海>跡 名附家良思蒙)
 「直越(ただこえ)の」は大和から難波潟(大阪湾)へまっすぐ草香山を超えていく道。山頂に達すると光り輝く海が一面に広がっているのが見えたに相違ない。草香山は前歌の頭注参照。
 「大和から難波潟(大阪湾)へまっすぐ草香山を超えていき、草香山から難波の海を望んだ時、海は光り輝いていた。押し照る海と名付けられたのだろうな」という歌である。
           (2018年2月28日記)
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