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万葉集読解・・・69(978~988番歌)

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     万葉集読解・・・69(978~988番歌)
 頭注に「山上憶良が重病に苦しんでいる時作った歌」とある。
0978   士やも空しくあるべき万代に語り継ぐべき名は立てずして
      (士也母 空應有 萬代尓 語續可 名者不立之而)
 「士(をのこ)やも」は「男子たるもの」である。「空しくあるべき」は「や」を補って「空しくあるべきや」と解すると分かりやすい。
 「男子たる者、後世仁名を残すことなく、このまま朽ち果ててしまってよいものだろうか」という歌である。
 左注に「山上憶良が重病にあることにかんがみ、藤原八束(ふぢはらのやつか)が河邊東人(かはべのあづまひと)を遣わして見舞ったとき山上憶良が悲しんで歌った歌」とある。

 頭注に「大伴家持一行が大和に戻る途中、佐保に立ち寄った時、大伴坂上郎女(さかのうへのいらつめ)が、家持に与えた歌」とある。963番長歌頭注の際に記したが、大伴旅人(家持の父)が妻を亡くした後、坂上郎女は佐保から太宰府にやってきて旅人の邸に入って家持等の面倒を見ていた。旅人が大納言として京に帰任することになり、彼女は一足先に佐保に戻っていた。今度は旅人が戻る際、その途中の佐保に立ち寄ったらしい。
0979   我が背子が着る衣薄し佐保風はいたくな吹きそ家に至るまで
      (吾背子我 著衣薄 佐保風者 疾莫吹 及<家>左右)
 「我が背子が」は恋人の意味ではなく、この場合は「坊っちゃん」というほどの意味。「いたくな吹きそ」は「な~そ」の禁止形。「強く吹かないでおくれ」という意味。
 「坊ちゃんの着ている着物は薄い。佐保風よ、坊ちゃんが家に着くまで強く吹かないでおくれ」という歌である。

 頭注に「安倍朝臣蟲麻呂(あへのあそみむしまろ)の歌」とある。
0980   雨隠り御笠の山を高みかも月の出で来ぬ夜は更けにつつ
      (雨隠 三笠乃山乎 高御香裳 月乃不出来 夜者更降管)
 「岩波大系本」も「伊藤本」も「雨隠り(あまごもり)」は笠の枕詞としている。もうこういう指摘はうんざりだが、何を根拠に枕詞として片づけてしまうのだろう。安易すぎる。「雨隠り」は本歌を含めて全万葉集歌中3例しかない。そして他の2例には笠などどこにも出てこない。ちなみにその2例を掲げると次のとおりである。
   ̄隠り心いぶせみ出で見れば春日の山は色づきにけり(1568番歌)
 ◆ ̄隠り物思ふ時に霍公鳥我が住む里に来鳴き響もす(3782番歌)
 ごらんのとおり2例とも「雨隠り」は、字義通り「雨に閉じこめられる」という意味に使われている。そして本歌の場合もそう解してなんら差し支えない。この点「中西本」は「雨に包まれる」と解している。「高みかも」は「高いからであろうか」という意味である。
 「雨に閉じこめられてしまったかのように高い御笠山からなかなか月が顔を出さない。夜が更けていくのに」という歌である。

 頭注に「大伴坂上郎女(さかのうへのいらつめ)の月の歌三首」とある。
0981   猟高の高円山を高みかも出で来る月の遅く照るらむ
      (猟高乃 高圓山乎 高弥鴨 出来月乃 遅将光)
 「猟高(かりたか)の」は高円山(たかまどやま)を含むより広い一帯を指す地名。高円山は奈良市春日山の南方の山。坂上郎女が住んでいた佐保山の東方にそびえる山である。「高みかも」は前歌参照。
 「猟高(かりたか)の高円山(たかまどやま)が高いせいか月が出て来るのが遅いですこと」という歌である。

0982   ぬばたまの夜霧の立ちておほほしく照れる月夜の見れば悲しさ
      (烏玉乃 夜霧立而 不清 照有月夜乃 見者悲沙)
 「ぬばたまの」はお馴染みの枕詞。「おほほしく」は175番歌、189番歌等にも出てきた用語で、重苦しく鬱々とした気分をあらわす言葉。ここでは月がぼうっとかすんでいる様。
 「夜霧でぼうっと霞んで照っている月を見るともの悲しくなる」という歌である。

0983   山の端のささら愛壮士天の原門渡る光見らくしよしも
      (山葉 左佐良榎<壮>子 天原 門度光 見良久之好藻)
 「ささら愛壮士天(えをとこ)」は「可愛い美少年」というほどの意味。ここでは月のこと。「天の原」は「天空」、「門渡る(とわたる)」は「航行」という意味である。「見らくしよしも」は「見るも美しい」という意味。月を美少年に見立ててのうたいっぷりは、さすが坂上郎女。
 「山の端に顔を出した可愛い愛壮士(えをとこ)くん、これから天空を渡って光り輝く君は見るも美しい」という歌である。
 左注に「右の一首は月の別名を「ささら愛壮士天」という言葉にちなんで作った歌」とある。

 頭注に「豊前國(とよのみちのくに)の娘子(をとめ)が詠った月の歌」とあり、細注に「娘子の字(あざな)は大宅というがその姓氏は未詳」とある。豊前國は福岡県東部と大分県北部にまたがる国。
0984   雲隠り去方を無みと我が恋ふる月をや君が見まく欲りする
      (雲隠 去方乎無跡 吾戀 月哉君之 欲見為流)
 大宅の歌はもう一首採録されている。709番歌の「夕闇は道たづたづし月待ちて行ませ我が背子その間にも見む」である。この歌も月が用いられているため、本歌も709挽歌に結びつけて解釈する向きがあるようである。本来、709番歌の前に本歌が並んで置かれていたのが何かの手違いで離れて採録されたという解釈である。709番歌の口語訳は「暗い夜道は大変でございます。私がお相手しますから月が出るのを待ってお帰りください」で、いわば男を送り出す際の歌である。
 本歌に入ろう。「雲隠り去方(ゆくへ)を無(な)みと」の「無み」は「~ので」のみ。「雲に隠れ、行方が分からないので」という意味である。「早く月がまた顔を出してくれないかな」と月を心待ちしているのが第三句までの歌意。後段の第4,5句は「この私と同様にあなたも見たいとお思いでしょうか」という意味である。
 離れたところにいる二人が「この月をあなたも見ているでしょうか」と思いやる心情は少しも珍しいことではない。むしろ自然の心情である。つまり、本歌は本歌単独で十分に意が通じ、709番歌に関連づける必要がないことが分かる。
 月を男の寓意と取って両歌を関連させられないことはないが、本歌の前後の歌はずっと自然の月をモチーフにした歌が続いている。本歌の場合もそう取って不自然さはなく、関連づける必要はあるまい。
 「雲に隠れ、行方が分からないと私が心待ちにしている月をこの私と同様にあなたも見たいとお思いでしょうか」という歌である。

 頭注に「湯原王(ゆはらのおほきみ)が月を詠んだ歌二首」とある。湯原王は志貴皇子の子。すなわち三十八代天智天皇の孫に当たる。
0985   天にます月読壮士賄はせむ今夜の長さ五百夜継ぎこそ
      (天尓座 月讀<壮>子 幣者将為 今夜乃長者 五百夜継許増)
 「天(あめ)にます月読壮士(つくよみをとこ)」は月に対する呼びかけの言葉。「お月様」というニュアンス。「賄(まひ)はせむ」の賄は「まかなひ」のことで、贈り物ないしお供え物のことである。第4句の「今夜乃長者」(原文)を各本とも「今夜(こよひ)の長さ」と訓じている。誤りではないのでそのままにしておくが、現代の口語文のようでどこか妙である。「長者」の者(は)も無視されている。ここは「この長き夜は」と訓ずべきかと思うがいかがであろう。「五百夜(いほよ)継ぎこそ」は「ずっと続いてほしい」という意味である。
 「天にいらっしゃるお月様。お供えは致します。このような秋の夜長がずっと続いてほしいものです」という歌である。

0986   はしきやし間近き里の君来むとおほのびにかも月の照りたる
      (愛也思 不遠里乃 君来跡 大能備尓鴨 月之照有)
 「はしきやし」は「ああ」といった感嘆符と考えていいが、心待ちする心情と考えてもいい。君は敬称だが、友、目上の人、君主等々幅が広い。ここは漠然と友人、知人を指しているようだ。「おほのびに」はこの歌だけで他に類例がなく正確な意味は未詳。一般に「あまねく」の意味に解されているが、月があまねく地上を照らすのは当たり前のこと。月夜のたびに作者が「近くに住む誰か来てくれないかな」と願っている歌になってしまう。私は前歌の「五百夜継ぎ」とほぼ同意の表現とみる。すなわち、「美しい月夜が長く続く」を意味するのが「おほのび」なのである。
 「美しい月夜が何日も続いている。近くに住んでいる誰か立ち寄ってくれないかなあ」という歌である。

 頭注に「藤原八束(ふぢはらのやつか)の月の歌」とある。藤原八束は藤原北家の粗房前(ふさざき)の子。
0987   待ちかてに「宵なる月=筆者訓」(定訓は「我がする月」)は妹が着る御笠の山に隠りてありけり
      (待難尓 余為月者 妹之著 三笠山尓 隠而有来)
 「待ちかてに」は「待ちがたく」と解されている。それでいいと思うが「我がする月は」は何であろう。初句に「待ちかてに」とあるのだから「我がする」とは妙な言い方である。原文は「余為月者」である。「わが」は通常「吾」または「我」と表記されている。「余為」の例は全くなく、この歌だけである。「我がする月は」などと訓じると歌意がたどたどしくなる。私はここは「宵なる月」としか訓jじられない。「妹(いも)が着る」は女性が頭から両手でかぶる薄衣に見立てた御笠の山の美称。
 「宵の月が現れるのを待ち遠しく思っているが、まだ御笠の山に隠れているのかなあ」という歌である。

 頭注に「市原王(いちはらのおほきみ)が宴席の折、父安貴王(あきのおほきみ)を祝って詠った歌。」とある。
0988   春草は後はうつろふ巌なす常盤にいませ貴き我が君
      (春草者 後<波>落易 巌成 常磐尓座 貴吾君)
 「春草は後はうつろふ」は「春草はやがて枯れてしまいます」という意味である。ここで歌はいったん切れる。「巌なす常盤(ときは)にいませ」は「岩のように末永く元気でいて下さいまし」という意味である。父王の長寿を願った歌である。
 「今を盛りの春草はやがて枯れてしまいます。どうか岩のようにいつまでも末永く元気でいて下さいまし」という歌である。
           (2014年2月22日記、2018年3月5日)
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