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万葉集読解・・・70(989~1004番歌)


     万葉集読解・・・70(989~1004番歌)
 頭注に「湯原王(ゆはらのおほきみ)が打酒(ちょうちゃく)して詠った歌」とある。
0989   焼太刀のかど打ち放ち大夫の寿く豊御酒に我れ酔ひにけり
      (焼刀之 加度打放 大夫之 祷豊御酒尓 吾酔尓家里)
 上二句に「焼太刀のかど打ち放ち」とあるので、頭注にいう「打酒(ちょうちゃく)」はこのことと思われる。かどは刀身か切っ先かどちらを指すのかはっきりしていないようだが、どちらにしろ酒を口に含んで勢いよく吹き付けたもののようだ。とすると、切っ先では届きにくく、かどは刀身を意味しているようだ。「寿(ほ)く豊御酒(とよみき)」は祝い酒のこと。誕生祝いにはこうした打酒の儀式が行われたようである。
 「焼き太刀のかどに、口に含んだ酒を勢いよく吹き付けてますらを祝う酒に私は酔ってしまった」という歌である。

 頭注に「紀朝臣鹿人(きのあそみかひと)が跡見(とみ)の茂岡(しげおか)の松の木を詠った歌。」とある。跡見の茂岡は奈良県桜井市の地名ではないかと見られている。
0990   茂岡に神さび立ちて栄えたる千代松の木の年の知らなく
      (茂岡尓 神佐備立而 榮有 千代松樹乃 歳之不知久)
 「神さび」は「古びた」という意味。平明歌。
 「茂岡に古い古い松の木が立っているが、長年に亘って生き抜いてきた千代松は何歳なのか知らない(見当もつかない)」という歌である。

 頭注に「同じく鹿人(かひと)が泊瀬川の川辺に立って詠った歌」とある。
0991   石走りたぎち流るる泊瀬川絶ゆることなくまたも来て見む
      (石走 多藝千流留 泊瀬河 絶事無 亦毛来而将見)
 「石走(いはばし)りたぎち」は「岩に当たって激しくほとばしる様」。
 「岩に当たって激しくほとばしらせながら流れる泊瀬川、いつまでも絶えることなく流れ下り続けるに相違ない。またやってきて見てみたいものだ」という歌である。

 頭注に「大伴坂上郎女(さかのうえのいらつめ)が元興寺(ぐわんごうじ)の里を訪れた時の歌」とある。和銅3年(710年)、都が飛鳥(あすか)から奈良の平城京に遷された。その時、飛鳥寺も元興寺として奈良の地に移築された。その元興寺の建つ地を人々は明日香と呼んだ。
0992   故郷の飛鳥はあれどあをによし奈良の明日香を見らくしよしも
      (古郷之 飛鳥者雖有 青丹吉 平城之明日香乎 見樂思好裳)
  結句の「見らくしよしも」は「見るからにすばらしい」という意味である。すなわち、目前の「奈良の明日香」をほめているが、同時に旧都の飛鳥をも指している詠い方である。第二句の「飛鳥はあれど」には「見らくしよしも」が省略されている。
 「旧都の飛鳥寺もすばらしかったけれど、ここ元興寺も見るからにすばらしい」という歌である。

 頭注に「同じく坂上郎女の初月の歌」とある。
0993   月立ちてただ三日月の眉根掻き日長く恋ひし君に逢へるかも
      (月立而 直三日月之 眉根掻 氣長戀之 君尓相有鴨)
 頭注にある「初月」とは、歌には「三日月」とあるので、三日月のことを初月と呼んでいたことが分かる。「月立ちてただ三日月の」は「月がかわって三日目の三日月の」という意味だが、ここでは「三日月のように細い」という形容に使われている。誤解しかねないのが、「恋ひし君」である。恋ひし君だからすわ恋人のことと解するのは現代感覚である。当時はそうとは限らない。「心待ちにしている君」という意味で、家族や同居者等を指して「恋ひし君」と表現することもある。「逢へるかも」は「逢うことができました」という意味。「かも」は詠嘆。
 「月がかわって三日目の三日月のような眉をかき、きちんと身なりを整えて長らく心待ちにしていたあなたに逢うことができました」という歌である。

 頭注に「大伴宿祢家持の初月の歌」とある。
0994   振り放けて三日月見れば一目見し人の眉引き思ほゆるかも
      (振仰而 若月見者 一目見之 人乃眉引 所念可聞)
 前歌の坂上郎女の初月の歌に並んで同じく初月の歌が登載されている。この時大伴家持は弱冠16歳だったという。太宰府にいるとき彼女は彼を世話していた。
 「振り放(さ)けて三日月見れば一目見し」とあるから坂上郎女の家を後にして自分の家(旅人の家)に向かう時の歌に相違ない。
 「振り向いて三日月を見れば、眉を引いて(身なりを整えて)会って下さったおばさんが思い出される」という歌である。

 頭注に「親族一同を迎えて宴会を開いたときの坂上郎女の歌」とある。
0995   かくしつつ遊び飲みこそ草木すら春は咲きつつ秋は散りゆく
      (如是為乍 遊飲與 草木尚 春者生管 秋者落去)
 「かくしつつ」は「このようにして」という意味。「遊び飲みこそ」は「さあ皆様、存分に飲み歌いして下さいませ」という意味である。
 「さあ皆様、このようにして存分に飲み、お歌い下さいませ。草や木でさへ、春は存分に咲き誇り、やがて秋には散ってゆきます」という歌である。

頭注に「六年甲戌年、海犬養宿祢岡麻呂(あまのいぬかひのすくねをかまろ)が大王(おほきみ)の仰せに応えて詠った歌」とある。六年は天平六年(734年)。岡麻呂は伝未詳。大王(おほきみ)は四十五代聖武天皇。
0996   御民我れ生ける験あり天地の栄ゆる時にあへらく思へば
      (御民吾 生有驗在 天地之 榮時尓 相樂念者)
 「御民(みたみ)我れ生ける験(しるし)あり」は「大君の民として生きている甲斐がございます」という意味。「あへらく思へば」は「生まれ合わせたことを思うと」という意味である。
 「大君の民として生きている甲斐がございます。大君の世がこうして栄えている時に生まれ合わせたことを思うと幸せでございます」という歌である。

 頭注に「春三月、難波の宮に行幸された際に詠われた歌六首」とある。四十五代聖武天皇の行幸。
0997   住吉の粉浜のしじみ開けもみず隠りてのみや恋ひわたりなむ
      (住吉乃 粉濱之四時美 開藻不見 隠耳哉 戀度南)
 粉浜(こはま)は大阪市住吉区内と見られているが、具体的には未詳。
 「住吉の粉浜(こはま)のしじみが殻を開けずにいるように、閉じこもったまま胸中に秘めて恋い続けることでしょうか」という歌である。
 左注に「右は作者未詳」とある。

0998   眉のごと雲居に見ゆる阿波の山懸けて漕ぐ舟泊り知らずも
      (如眉 雲居尓所見 阿波乃山 懸而榜舟 泊不知毛)
 「眉のごと」は「横に長い眉のように」という意味。「雲居に」は「かかっている雲の向こうに」という意味である。「阿波の山」は「阿波国(徳島県)の山々」のこと。「懸けて」は「めがけて(めざして)」という意味である。遠ざかってゆく舟が眼前に浮かんでくるような情景歌。
 「横に長い眉のように、かかった雲の向こうに見える阿波の山々。そこに向かって漕いでいく舟が見える。どこに泊まるつもりか分からないけれども」という歌である。
 左注に「右は船王(ふなのおほきみ)の歌」とある。

0999   茅渟廻より雨ぞ降り来る四極の海人綱手干したり濡れもあへむかも
      (従千<沼>廻 雨曽零来 四八津之白水郎 <綱手>乾有 沾将堪香聞)
 茅渟(ちぬ)は住吉の浜の対岸の浜を指しているようだ。「茅渟廻(ちぬみ)より」は「茅渟の浜あたりから」という意味である。四極(しはつ)は住吉の浜近辺らしい。「あへむかも」は「堪えられるだろうか」という意味である。
 「茅渟(ちぬ)の浜あたりから雨が降ってきている。ここ住吉の浜では漁夫が網を干している。濡れても構わないのだろうか」という歌である。
 左注に「右は、大王(おほきみ)が住吉の浜に遊覧(おでまし)になった帰途、大王の仰せに応えて守部王(もりべのおほきみ)が詠った歌」とある。

1000  子らしあらばふたり聞かむを沖つ洲に鳴くなる鶴の暁の声
      (兒等之有者 二人将聞乎 奥渚尓 鳴成多頭乃 暁之聲)
 「子らしあらば」の「子ら」は親愛の「ら」。「ここにあの子がいたら」という意味である。「沖つ洲(す)」は「沖の浅瀬」。
 「ここにあの子がいたら、二人一緒に沖の浅瀬で鳴く、鶴の暁の声を聞けるのになあ」という歌である。
 左注に「右は守部王(もりべのおほきみ)の歌」とある。

1001  大夫は御狩に立たし娘子らは赤裳裾引く清き浜びを
      (大夫者 御<猟>尓立之 未通女等者 赤裳須素引 清濱備乎)
 「大夫(ますらを)」は「男ども」というニュアンス。「御狩(みかり)に立たし」は「狩り(釣り?)に出ていく一方」という意味である。赤人らしい印象的な情景歌。
 「男どもは狩りに出て行く一方、娘子(をとめ)たちは赤い裳裾(もすそ)を引きずって美しい浜辺を行き来している」という歌である。
 左注に「右は山部宿祢赤人(やまべのすくねあかひと)の歌」とある。

1002  馬の歩み抑へ留めよ住吉の岸の埴生ににほひて行かむ
      (馬之歩 押止駐余 住吉之 岸乃黄土 尓保比而将去)
 埴生(はにゅう)は赤や黄色の美しい土のこと。69番歌や932番歌にも詠われている。住吉の岸の埴生はよほど美しく有名だったようだ。「にほひて行かむ」は「染まっていこうではないか」という意味である。
 「馬の歩みを抑え、留めなさい。住吉の岸の美しい埴生に存分に染まっていこうではないか」という歌である。
 左注に「右は安倍朝臣豊継(あべのあそみとよつぐ)の歌」とある。

 頭注に「筑後守外従五位下の葛井連大成(ふぢゐのむらじおほなり)が、遙かに海人釣船(あまのつりぶね)を見て作った歌」とある。筑後守は筑後国長官。今の福岡県南部。
1003  海女娘子玉求むらし沖つ波恐き海に舟出せり見ゆ
      (海D嬬 玉求良之 奥浪 恐海尓 船出為利所見)
 「海女娘子(あまをとめ)」は海女さんのこと。「玉求むらし」の「玉」は真珠のことと考えられている。「恐(かしこき)海」はいうまでもなく、「波の荒い海」。
 「海女娘子は真珠を採りに行くのだろうか。波が荒いにもかかわらず舟出してゆくのが見える」という歌である。

 頭注に桉作村主益人(くらつくりのすぐりますひと)の歌」とある。
1004  思ほえず来ましし君を佐保川のかはづ聞かせず帰しつるかも
      (不所念 来座君乎 <佐>保<川>乃 河蝦不令聞 還都流香聞)
 「思ほえず」は「思いがけず」と、「帰しつるかも」は「お帰ししてしまって残念」 という意味。
 「思いがけず長官がお越し下さったのに佐保川名物の蛙の声もお聞かせじまいになって残念至極」という歌である。
 左注に「右は、益人の属していた内匠寮(うちのたくみのつかさ)の長官佐為王(さゐのおほきみ)が立ち寄ったので宴席を設けたところ、長官は早々と切り上げてしまった」とある。内匠寮は宮中の工事を担当する役所。
           (2014年3月2日記、2018年3月9日記)
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