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万葉集読解・・・100(1448~1464番歌)

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     万葉集読解・・・100(1448~1464番歌)
 春相聞(1448~1464番歌の17首)。
 頭注に「大伴宿祢家持が坂上家の大嬢に贈った歌」とある。坂上郎女(さかのうえのいらつめ)には二人の娘がいる。大嬢(おほいらつめ)と二嬢(おといらつめ)の二人。姉の大嬢は後に家持に嫁ぐ。
1448  我がやどに蒔きしなでしこいつしかも花に咲きなむなそへつつ見む
      (吾屋外尓 蒔之瞿麥 何時毛 花尓咲奈武 名蘇經乍見武)
 「なそへつつ」は初出語だが、2463番歌「久方の天照る月の隠りなば何になそへて妹を偲はむ」の使用例から分かるように、「なぞらえる」という意味である。
 「我が家の庭に撒いたナデシコ。時期が来て咲いたら、あなたと思って眺めます」という歌である。

 頭注に「大伴田村家の大嬢が妹の坂上大嬢に与えた歌」とある。田村大嬢と坂上大嬢は異母姉妹。父は共に大伴宿奈麿(おおとものすくなまろ)。
1449  茅花抜く浅茅が原のつほすみれ今盛りなり我が恋ふらくは
      (茅花抜 淺茅之原乃 都保須美礼 今盛有 吾戀苦波)
 茅花(つばな)は稲科の草。食用になる。つほすみれは1444番歌に出てきたが、すみれにそういう品種はないという。
 「茅花を抜き取る浅茅が原にはつほすみれが真っ盛りに咲いています。そのように今私はしきりにあなたのことが思われてなりません」という歌である。

 頭注に「大伴宿祢坂上郎女(さかのうえのいらつめ)の歌」とある。
1450  心ぐきものにぞありける春霞たなびく時に恋の繁きは
      (情具伎 物尓曽有鶏類 春霞 多奈引時尓 戀乃繁者)
 「心ぐき」は切なく苦しい心情。
 「春霞がたなびく季節がやってきて、しきりに恋心がつのりますが、なんと切なく心苦しいことでしょう」という歌である。

 頭注に「笠女郎(かさのいらつめ)が大伴家持に贈った歌」とある。
1451  水鳥の鴨の羽色の春山のおほつかなくも思ほゆるかも
      (水鳥之 鴨乃羽色乃 春山乃 於保束無毛 所念可聞)
  笠女郎はどんな女性なのかはっきりしない。彼女の歌は395~397番歌の3首、587~610番歌の24首、本歌(1451番歌)及び1616番歌の2首、計29首が登載されている。すべて家持に贈った歌である。これに対し家持から彼女に宛てた歌は611番歌及び612番歌の2首のみである。612番歌の折りに、、笠女郎に関する推察を掲載してあるので、興味のある向きは参照されたい。
 さて、本歌。「水鳥の鴨の羽色の」であるが、鴨の代表種はむろんマガモ。鴨類はたいてい地味な茶褐色が多いが、マガモの雄の頭部は鮮やかな青緑をしていて目立つ。水鳥を詠った歌はもう一例あって、まもなく先の1543番歌に「秋の露は移しにありけり水鳥の~」とある。マガモは鴨の代表種だが、水鳥の代表種でもあったようだ。現代でもあちこちの池、川、公園で見かける一般的な水鳥。
 「水鳥の鴨(マガモ?)の羽の色のように鮮やかな青葉色に染まった春の山に霞がかかって、あなたの気持がおぼつかなく思われます」という歌である。

 頭注に「紀女郎(きのいらつめ)の歌」とあり、細注に「名を小鹿というなり」とある。
1452  闇ならばうべも来まさじ梅の花咲ける月夜に出でまさじとや
      (闇夜有者 宇倍毛不来座 梅花 開月夜尓 伊而麻左自常屋)
 「うべも」は「もっとも」という意味。平明歌。
 「なるほど闇夜ならいらっしゃらなくてもごもっともですわ。でも美しい梅の花が咲きそろう月明かりの今宵なのに、いらっしゃらないとは」という歌である。

 頭注に「天平五年(733年)癸酉年春閏三月、笠朝臣金村が入唐使に贈った歌と短歌」とある。天平五年の遣唐使は丹比真人広成(たぢひのまひとひろなり)。
1453番 長歌
   玉たすき 懸けぬ時なく 息の緒に 我が思ふ君は うつせみの 世の人なれば 大君の 命畏み 夕されば 鶴が妻呼ぶ 難波潟 御津の崎より 大船に 真楫しじ貫き 白波の 高き荒海を 島伝ひ い別れ行かば 留まれる 我れは幣引き 斎ひつつ 君をば待たむ 早帰りませ
   (玉手次 不懸時無 氣緒尓 吾念公者 虚蝉之 <世人有者 大王之> 命恐 夕去者 鶴之妻喚 難波方 三津埼従 大舶尓 二梶繁貫 白浪乃 高荒海乎 嶋傳 伊別徃者 留有 吾者幣引 齊乍 公乎者将<待> 早還万世)
  長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「玉たすき」は枕詞。「息の緒に」は「息が続く限り」すなわち「命がけで」という意味。「御津の崎」は63番歌に「いざ子ども早く大和へ大伴の御津の浜松待ち恋ひぬらむ」とあるように大伴氏の本拠地「大伴の御津」のことで、大阪湾の浜。「幣(ぬさ)引き」は「神に捧げる手向けのものを引く」という意味で、船が出て行くとき、離す物。

 (口語訳)
  たすきを懸けるように心にかけるあなた様、命がけで思うあなた様は、現世の人なので、大君のご命令を恐れいただいて、夕方に鶴が妻を呼ぶ難波潟の御津の崎から大船に乗り込む。その大船には梶がいっぱいとりつけられ、高い白波の立つ荒海を島伝いに出ていかんとする。後に留まる私は船に取り付けた神への手向け物を引いて(船に残し)、祈りを捧げる。ずっとあなた様を待ち続けます。早くお帰り下さい。

 反 歌
1454  波の上ゆ見ゆる小島の雲隠りあな息づかし相別れなば
      (波上従 所見兒嶋之 雲隠 穴氣衝之 相別去者)
 「波の上ゆ」は「~より」の「ゆ」。「あな息づかし」は「ため息がでることでしょうね」という意味。「波から見える小島が、雲間に隠れてしまうように遣唐使船が小さくなってしまったら、きっと大きなため息がでることでしょうね、いよいよお別れかと思って」という歌である。

1455  たまきはる命に向ひ恋ひむゆは君が御船の楫柄にもが
      (玉切 命向 戀従者 公之三舶乃 梶柄母我)
 「たまきはる」は枕詞。「命に向ひ恋ひむゆは」は「いのちがけの思いで思い続けるよりは」という意味である。
 「いのちがけの思いで思い続けるよりはいっそあなた様の乗る船の楫の柄になりたい」という歌である。

 頭注に「藤原朝臣廣嗣(ひろつぐ)。娘子(をとめ)に桜花を贈る歌」とある。
1456  この花の一節のうちに百種の言ぞ隠れるおほろかにすな
      (此花乃 一与能内尓 百種乃 言曽隠有 於保呂可尓為莫)
 「百種(ももくさ)の言(こと)」は「言いたいことがいっぱい」という意味である。「おほろかにすな」は「おろそかにしないで」という意味である。
 「この一節の花には私の言いたいことがぎっしり詰まっています。おろそかにしないで下さい」という歌である。

 頭注に「娘子が応えた歌」とある。
1457  この花の一節のうちは百種の言持ちかねて折らえけらずや
      (此花乃 一与能裏波 百種乃 言持不勝而 所折家良受也)
 折れて届いた桜の一枝に名を借りてぴりっと皮肉を利かした歌。
 「そのように言葉をいっぱい詰められたせいで折れてしまったのでしょうか」という歌である。

 頭注に「厚見王(あつみのおほきみ)が久米女郎(くめのいらつめ)に贈った歌」とある。厚見王は後の少納言。久米女郎は伝未詳。
1458  やどにある桜の花は今もかも松風早み地に散るらむ
      (室戸在 櫻花者 今毛香聞 松風疾 地尓落良武)
 やどは庭のこと。「あなたの家の」を補って読むと分かりやすい。「松風早み」は「~ので」の「み」。しばらく放っておいた女に当てて心移りをいぶかった寓意歌。
 「あなたの家の庭の桜は今頃松風に(待ちかねて)散ってしまったでしょうね」という歌である。

 頭注に「久米女郎が応えて贈った歌」とある。
1459  世間も常にしあらねばやどにある桜の花の散れるころかも
      (世間毛 常尓師不有者 室戸尓有 櫻花乃 不所比日可聞)
 世間は「よのなか」と訓じる。平明歌。
 「世の中はいつまでも同じじゃありませんもの。庭の桜も散る頃かもしれませんわ」という歌である。

 頭注に「紀女郎(きのいらつめ)が大伴宿祢家持に贈った歌二首」とある。紀女郎は三十八代天智天皇の曾孫安貴王(あきのおほきみ)の妻。
1460  戯奴(和氣)がため我が手もすまに春の野に抜ける茅花ぞ食して肥えませ
      (戯奴 [變云和氣] 之為 吾手母須麻尓 春野尓 抜流茅花曽 御食而肥座)
 原文の [變云和氣] は「わけともいう」とある。今風にいえば「坊や」という感じ。茅花(つばな)は1449番歌にあったように稲科の草。抜き取って食べる。「手もすまに」は「岩波大系本」の注に「未詳」とある。「一所懸命」の意に解すると歌意はすんなり通る。
 「坊や、この茅花は春の野で一所懸命抜き取ったものですよ。いっぱい食べてお太りなさい」という歌である。

1461  昼は咲き夜は恋ひ寝る合歓木の花君のみ見めや戯奴さへに見よ
      (晝者咲 夜者戀宿 合歡木花 君耳将見哉 和氣佐倍尓見代)
 第四句「君のみ見めや」の君は主君。すなわち作者の紀女郎。
 「昼は咲き、夜は人を恋いつつ眠るという合歓木(ねむ)の花、私だけじゃなく、あなたも見てごらん」という歌である。
 左注に「右の歌は、合歡花と茅花を手折って贈った」とある。

 頭注に「大伴家持が応えて贈った歌二首」とある。
1462  我が君に戯奴は恋ふらし賜りたる茅花を食めどいや痩せに痩す
      (吾君尓 戯奴者戀良思 給有 茅花手雖喫 弥痩尓夜須)
 「戯奴(わけ)」は「私め」というニュアンス。平明歌。
 「ご主君に私めは恋いこがれているのでしょうか。ちょうだいした茅花を食べましたが、太るどころか痩せる一方でございます」という歌である。

1463  我妹子が形見の合歓木は花のみに咲きてけだしく実にならじかも
      (吾妹子之 形見乃合歡木者 花耳尓 咲而盖 實尓不成鴨)
 「けだしく」は「おそらく」という意味。
 「あなた様が下さった合歓木(ねむ)は花だけ咲かせて、おそらく実にはならないのではないでしょうか」という歌である。

 頭注に「大伴家持が坂上大嬢(さかのうえのおほいらつめ)に贈った歌」とある。
1464  春霞たなびく山のへなれれば妹に逢はずて月ぞ経にける
      (春霞 軽引山乃 隔者 妹尓不相而 月曽經去来)
 「へなれれば」は「隔てているので」という意味である。
 「春霞がたなびく山に隔てられていて、(奈良にいる)あなたに逢わないまま月日が経ってしまいました」という歌である。
 左注に「久邇京(くにきょう)から奈良宅に贈った歌」とある。
 久邇京(京都府木津川市)が造られたことは1037番歌の折りにも記したが、大伴家持はそこに勤務していたことがある。久邇京が置かれたのは天平12年(740年)~天平16年(744年)。
           (2014年8月25日記、2018年6月1日記)
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