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Channel: 古代史の道
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児らの見送り

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 5月29日に無為の一日を送ってから5日目を迎えた。哲学者なら自分ないし人間の存在を考察するところかも知れない。が、哲学者でもない私が無為の一日を考察しても始まらない。次第に私はいつもの私に戻りつつある。
 私を救ったのは階段を下りた所で遊んでいた子供たちである。真向かいの家が家庭塾を開いているのか、時として子供たち(といっても小学一年生前後の児童)に出会う。階段を下りきった所に5,6人の児童(いずれも女の子)がいて、その内の3人と顔を合わせた。私が手を振ると、彼女たちもいっせいに手を振って「いってらっしゃい」と言ってくれた。
 これに似た経験を私は4月23日に経験している。車で5,6分も走れば到着する近在の神社、油江天神社。拝殿でお賽銭を入れてお参りした後、帰ろうと振り向いたら、小さな女の児(三歳前後)が鳥居に手を掛けていた。私が一歩踏み出したとき、その児が手を振った。思わず私も手を振った。私は次のような短歌を記している。
   名も知らぬやしろに寄りて贈られた母子の微笑みこれぞ賜物  (桐山芳夫)
 今回は小学一年生前後の児童たちだったが、やはり、天から授かった賜物のように思われた。私にはどんなお偉い哲学者の言葉より、ありがたい行為に思われた。
   一斉に手を振る児らに送られて踏み出す我れの足の弾めり   (桐山芳夫)
 児どもたちの存在は本当に貴重ですね。見知らぬ児たちだからこそ、いっそう貴重に思われた。5日前に私の前に立ちこめた暗雲、あの、無為の一日はいったい何だったのか、と思わざるを得ないほど、私は児らの行為に励まされた。きっとヨタヨタ歩く老い人に同情に似た親近感を覚えての行為だったのだろう。
   いつの世も児らは前見て歩まんか未来育てる親御の力     (桐山芳夫)
            (2018年6月2日)
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