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万葉集読解・・・101(1465~1479番歌)

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     万葉集読解・・・101(1465~1479番歌)
 夏雜歌(1465~1497番歌の33首)。
 頭注に「藤原夫人の歌」とあり、細注に「明日香清御原宮に天下を治められた天皇の夫人なり。字(あざな)大原大刀自という。すなわち、新田部皇子の母なり」とある。藤原夫人は藤原鎌足の娘で名を五百重娘(いおえのいらつめ)という。天皇は四十代天武天皇。新田部皇子(にひたべのみこ)はその皇子。
1465  霍公鳥いたくな鳴きそ汝が声を五月の玉にあへ貫くまでに
      (霍公鳥 痛莫鳴 汝音乎 五月玉尓 相貫左右二)
 「な鳴きそ」は「な~そ」の禁止形。「五月(さつき)の玉」は五月五日の端午の節句に飾る薬玉(くすだま)のことである。橘の実など薬用の玉を緒(ひも)に通して連ねたもの。我が子の無事息災を願ったものに相違ない。なので「五月の玉にあへ貫くまでに」は要するに「端午の節句を迎えるまでは」という意味である。
 旧暦の五月は現在の六月頃なので、夏鳥、霍公鳥(ホトトギス)にマッチする。が、なぜホトトギスの鳴き声が薬玉を連ねることと関連するのだろう。頭注の細注にある「大原大刀自」は「大原の大家のご婦人」という意味だが、藤原夫人は京都大原が実家だった。 彼女の歌はもう一首採録されていて、103番歌に「我が里に大雪降れり大原の古りにし里に降らまくは後」とある。つまり、新田部皇子を実家の大原で生んで育てていたに相違ない。
 「霍公鳥(ホトトギス)そんなにひどく鳴かないでおくれ。その鳴き声を玉にして通す、端午の節句を迎えるまでは」という歌である。

 頭注に「志貴皇子(しきのみこ)の御歌」とある。志貴皇子は三十八代天智天皇の皇子。
1466  神奈備の石瀬の社の霍公鳥毛無の岡にいつか来鳴かむ
      (神名火乃 磐瀬之社之 霍公鳥 毛無乃岳尓 何時来将鳴)
 上二句「神奈備の石瀬の社の(いはせのもりの)」は1419番歌と全く同じ。第三句以下が本歌は「霍公鳥~」となっているのに対し、1419番歌は「呼子鳥いたくな鳴きそ我が恋まさる」となっている。
 「神なびの」は「神が降臨する」という意味である。伊波瀬の社(いはせのもり)は神社を指しているが、どこの神社か未詳。「毛無(けなし)の岡」は所在未詳とされるが、石瀬神社の境内ないし近辺のちょっとした岡ではなかろうか。
 「神聖な石瀬の社のホトトギスよ。毛無の岡にいつやってきて鳴くのだろう」という歌である。

 頭注に「弓削皇子(ゆげのみこ)の御歌」とある。弓削皇子は四十代天武天皇の皇子。
1467  霍公鳥無かる国にも行きてしかその鳴く声を聞けば苦しも
      (霍公鳥 無流國尓毛 去而師香 其鳴音手 間者辛苦母)
 「行きてしか」は「行きたいものだ」という意味。。
 「ホトトギスのいない国に行きたいものだ。その鳴く声を聞くと切ない(心苦しい)から」という歌である。

 頭注に「小治田の廣瀬王(ひろせのおほきみ)の霍公鳥の歌」とある。小治田((をはりだ)は奈良県高市郡明日香村にあった。廣瀬王は系統未詳。
1468  霍公鳥声聞く小野の秋風に萩咲きぬれや声の乏しき
      (霍公鳥 音聞小野乃 秋風尓 芽開礼也 聲之乏寸)
 「小野(をの)」の「を」は「さ庭」や「さ乙女」などの「さ」と同様、語調を整える接頭語。「咲きぬれや」は「萩が咲いたのだろうか」という意味。
 「野でホトトギスの鳴き声をよく聞いたものだが、秋風が吹き萩が咲き始めたのだろうか、近頃あまり鳴き声がしない」という歌である。

 頭注に「沙弥(さみ)の霍公鳥の歌」とある。沙弥は出家僧。336番歌や821番歌の作者沙弥満誓(さみまんせい)のことであろうか。
1469  あしひきの山霍公鳥汝が鳴けば家なる妹し常に偲はゆ
      (足引之 山霍公鳥 汝鳴者 家有妹 常所思)
 「あしひきの」はお馴染みの枕詞。しみじみした味わいのある歌である。
 「山ホトトギスよ。あんたが鳴くと家にいる妻のことがしきりにしのばれる」という歌である。

 頭注に「刀理宣令(とりのせんりやう)の歌」とある。刀理宣令は渡来系の学者らしい。
1470  もののふの石瀬の社の霍公鳥今も鳴かぬか山の常蔭に
      (物部乃 石瀬之社乃 霍公鳥 今毛鳴奴香 山之常影尓)
 「もののふの」は枕詞(?)。「もののふの」が「石瀬の社」にかかっているのは本歌のみ。「もののふの」は全万葉集歌中21例に及ぶが、大部分が「やそ(八十)」に続いている。ここは原文に「物部乃」とあり、「もののふの」ではなく「もののべの」ではないかと私は思う。「石瀬の社(いはせのもり)」は1419番歌、1466番歌に続いて三例目である。以降は出てこないが、すべて鳥の鳴き声にからめて詠われている。鳥で有名な神社だったのだろうか。そして、「石瀬の社」は、古代氏族の物部氏の神社ではなかったかと考えている。「今も鳴かぬか」は「今もなお鳴いてほしい」という意味。夏の終わりが近づき、ホトトギスの鳴き声が途絶えたことを詠っているに相違ない。「山の常蔭(とかげ)に」は「いつもかげになっている山影」という意味である。
 「物部の石瀬の社に鳴いていたホトトギス。今なお鳴いてくれないだろうか。いつも木陰になっている山影で」という歌である。

 頭注に「山部宿祢赤人の歌」とある。赤人は伝未詳なるも自然を詠った代表的万葉歌人。
1471  恋しけば形見にせむと我がやどに植ゑし藤波今咲きにけり
      (戀之家婆 形見尓将為跡 吾屋戸尓 殖之藤浪 今開尓家里)
 いきなり、「恋しけば形見にせむと」と始まるので分かりづらい。が、この前後の歌がずっとホトトギスの鳴き声をテーマにした歌が継続しており、かつ、藤の花が咲きそろう頃ホトトギスがやってくることを考えると、ここはホトトギスの鳴き声ないしその姿のことを言っていることが分かる。
 「ホトトギスの鳴き声がしなくなって、そのホトトギスが恋しく、その形見にしようと庭に植えた藤が波打つように咲いて垂れ下がり、もうホトトギスがいつ来てもいい」という歌である。

 頭注に「式部大輔石上堅魚朝臣(いそのかみのかつをのあそみ)の歌」とある。式部大輔(しきぶのだいふ)は式部省次官。
1472  霍公鳥来鳴き響もす卯の花の伴にや来しと問はましものを
      (霍公鳥 来鳴令響 宇乃花能 共也来之登 問麻思物乎)
 「霍公鳥来鳴き響(とよ)もす」でいったん切れる。「ホトトギスがやってきてあたりに響き渡らんばかりに鳴いている」という情景。
 「ホトトギスがやってきてしきりに鳴いている。折しも卯の花がちょうど咲いている。ホトトギスよ、お前は卯の花に伴ってやってきたのかと問いたいものだ」という歌である。
 本歌には詳細な左注が付いている。その要約は以下のとおりである。
 「神亀5年(728年)、太宰府長官大伴旅人の妻大伴郎女(おほとものいらつめ)が亡くなった。で、朝廷(平城京)は上記石上堅魚を太宰府に遣わして喪を弔った。石上等使者一行は太宰府を後にして基山(佐賀県)に登った時本歌を詠んだ」

 頭注に「大宰帥大伴卿がこれに応えた歌」とある。大宰帥(だざいのそち」は太宰府の長官。大伴家持の父大伴旅人のことである。
1473  橘の花散る里の霍公鳥片恋しつつ鳴く日しぞ多き
      (橘之 花散里乃 霍公鳥 片戀為乍 鳴日四曽多寸)
 橘の花を死去した大伴郎女、ホトトギスを大伴旅人自身と受け取って読むと悲傷極まりない歌である。平明歌。
 「橘の花が散ってしまった里にはホトトギスが片恋して鳴く日が多い。」という歌である。

 頭注に「大伴坂上郎女(さかのうえのいらつめ)が筑紫の大城(おほき)の山を思って詠んだ歌」とある。
1474  今もかも大城の山に霍公鳥鳴き響むらむ我れなけれども
      (今毛可聞 大城乃山尓 霍公鳥 鳴令響良武 吾無礼杼毛)
  坂上郎女は大伴旅人の妻だった大伴郎女とは別人。彼女の死去後、坂上郎女が太宰府にやってきて旅人の子の家持らの養育を行なった。その後旅人は任を解かれ京に帰ることになるが、それに先だって坂上郎女は帰京する。本歌はその帰京後の歌。
 「今もかも」は「今頃は」という意味。大城の山は太宰府の背後の山。
 「私はもうそこにはいないけれど、いまごろ大城の山ではホトトギスがしきりに鳴いているでしょうね」という歌である。

 頭注に「大伴坂上郎女の霍公鳥の歌」とある。
1475  何しかもここだく恋ふる霍公鳥鳴く声聞けば恋こそまされ
      (何奇毛 幾許戀流 霍公鳥 鳴音聞者 戀許曽益礼)
 「何しかも」は「なにゆえ」ということ。「ここだく」は633番歌、658番歌等にあったように、「非常に強く」という意味。
 「どうしてこうも(太宰府の頃が)非常に恋しいのかしら。ホトトギスが鳴いているのを聞くと、恋しさばかりが募ります」という歌である。

 頭注に「小治田朝臣廣耳(をはりだのあそみひろみみ)の歌」とある。廣耳は伝未詳。
1476  ひとり居て物思ふ宵に霍公鳥こゆ鳴き渡る心しあるらし
      (獨居而 物念夕尓 霍公鳥 従此間鳴渡 心四有良思)
 「こゆ鳴き渡る」は「鳴きながら通り過ぎて行く」という意味である。「心し」は強意の「し」。
 「宵どきにひとり家居して物思いにふけっていると、夕闇に、鳴きながらホトトギスが通り過ぎて行く。まるで私の心を知っているかのように」という歌である。

 頭注に「大伴家持の霍公鳥の歌」とある。
1477  卯の花もいまだ咲かねば霍公鳥佐保の山辺に来鳴き響もす
      (宇能花毛 未開者 霍公鳥 佐保乃山邊 来鳴令響)
 佐保山は奈良市佐保山町にあった山。坂上郎女の居宅の近く。
 「卯の花もまだ咲いていないけれど、ホトトギスがここ佐保の山辺にやってきてしきりに鳴き立てている」という歌である。

 頭注に「大伴家持の橘の歌」とある。
1478  我がやどの花橘のいつしかも玉に貫くべくその実なりなむ
      (吾屋前之 花橘乃 何時毛 珠貫倍久 其實成奈武)
 「我がやど」は「我が家の庭」のこと。平明歌。
 「家の庭の花橘はいつになったら貫(ぬ)く玉(実)をつけることだろう」という歌である。

 頭注に「大伴家持の晩蝉(ひぐらし)の歌」とある。
1479  隠りのみ居ればいぶせみ慰むと出で立ち聞けば来鳴くひぐらし
      (隠耳 居者欝悒 奈具左武登 出立聞者 来鳴日晩)
 「隠(こも)りのみ居れば」は「家にこもりっきりになっていると」という意味である。「いぶせみ」は「気がふさぐので」という意味。形容詞の語尾についている本歌のような「み」は「~なので」の「み」。
 「家にこもりっきりになっていると気がふさぐので、心を休めようと外に出てみたら、ひぐらしがやってきて鳴き出した」という歌である。
           (2014年8月30日記、2018年6月2日記)
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