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万葉集読解・・・102(1480~1497番歌)


     万葉集読解・・・102(1480~1497番歌)
 頭注に「大伴書持(おほとものふみもち)の歌二首」とある。書持は家持の弟。
1480  我がやどに月おし照れり霍公鳥心あれ今夜来鳴き響もせ
      (我屋戸尓 月押照有 霍公鳥 心有今夜 来鳴令響)
 「我がやどに」は「我が家の庭に」という、「鳴き響(とよ)もせ」は「鳴き響かせてよ」という意味。
 「我が家の庭一面に月が照り渡っている。ホトトギスよ。心あるならば今宵こそやってきて精一杯鳴き響いておくれ」という歌である。

1481  我がやどの花橘に霍公鳥今こそ鳴かめ友に逢へる時
      (我屋戸前乃 花橘尓 霍公鳥 今社鳴米 友尓相流時)
 「我がやどの」は「我が家の庭の」という意味。花橘は橘の花のこと。「友に逢へる時」は「今こうして友に会っているときに」という意味である。
 「ホトトギスよ、我が家の庭の花橘にやってきて、今こそ鳴いておくれ。今こうして友に会っているときに」という歌である。

 頭注に「大伴清縄(おほとものきよつな)の歌」とある。清縄は伝未詳。
1482  皆人の待ちし卯の花散りぬとも鳴く霍公鳥我れ忘れめや
      (皆人之 待師宇能花 雖落 奈久霍公鳥 吾将忘哉)
 読解不要の平明歌。
 「みんなが待っていた卯の花が散ってしまっても、ホトトギスの鳴き声だけは忘れるものか」という歌である。

 頭注に「奄君諸立(あむのきみもろたち)の歌」とある。諸立は伝未詳。
1483  我が背子がやどの橘花を吉み鳴く霍公鳥見にぞ我が来し
      (吾背子之 屋戸乃橘 花乎吉美 鳴霍公鳥 見曽吾来之)
 「我が背子がやど」は「君んちの庭の」という意味。「花を吉(よ)み」は「~なので」の「み」。
 「君んちの家の庭の橘、花が美しいのでホトトギスがやってきて鳴くといいます。その花を見に私もやってきました」という歌である。

 頭注に「大伴坂上郎女(さかのうえのいらつめ)の歌とある。
1484  霍公鳥いたくな鳴きそひとり居て寝の寝らえぬに聞けば苦しも
      (霍公鳥 痛莫鳴 獨居而 寐乃不所宿 聞者苦毛)
 「いたく」は「激しく」という意味。「な鳴きそ」は「な~そ」の禁止形。「寝(い)の寝(ね)らえぬに」は「なかなか眠りに入れないのに」という意味である。
 「ホトトギスよ、そんなに激しく鳴かないでおくれ。ひとり床についてなかなか眠りに入れないのに鳴き声を聞けばよけい寝苦しい」という歌である。

 頭注に「大伴家持の唐棣(はねず)の花の歌」とある。
1485  夏まけて咲きたるはねずひさかたの雨うち降らば移ろひなむか
      (夏儲而 開有波祢受 久方乃 雨打零者 将移香)
 唐棣(はねず)は鮮やかな朱色の花のことをいう。庭梅または石榴(ザクロ)のことという。「夏まけて」は「夏が来るのを待ち受けて」という意味。「ひさかたの」はお馴染みの枕詞。
 「夏が来るのを待ち受けて咲いた鮮やかなはねずの花。降ってきた雨に打たれてしぼんでしまうだろうか」という歌である。

 頭注に「大伴家持、霍公鳥がなかなか鳴かないのをうらめしく思っての歌二首」とある。
1486  我がやどの花橘を霍公鳥来鳴かず地に散らしてむとか
      (吾屋前之 花橘乎 霍公鳥 来不喧地尓 令落常香)
 橘(タチバナ)は柑橘類で、実は秋に成る。花橘は橘の花。花の盛りは盛夏。ホトトギスの鳴く時期と重なる。
 「我が家の庭の花橘は今盛り。ところがなかなかホトトギスがやって来て鳴かない。このまま地(つち)に花を散らしてしまうのだろうか」という歌である。

1487  霍公鳥思はずありき木の暗のかくなるまでに何か来鳴かぬ
      (霍公鳥 不念有寸 木晩乃 如此成左右尓 奈何不来喧)
 「思はずありき」は「思ってもみなかった」、「木の暗(くれ)の」は「繁った葉群れの間」、「何か来鳴かぬ」は「なぜやって来て鳴かないのか」という意味である。
 「ホトトギスよ、橘の茂みがこんなに濃くなるまで、なぜやって来て鳴かないのか。思ってもみなかったぞ」という歌である。

 頭注に「大伴家持霍公鳥の訪問を喜ぶ歌」とある。
1488  いづくには鳴きもしにけむ霍公鳥我家の里に今日のみぞ鳴く
      (何處者 鳴毛思仁家武 霍公鳥 吾家乃里尓 今日耳曽鳴)
 「いづくには鳴きもしにけむ」は「どこかでは鳴いていただろう」という意味。「今日のみぞ」は「やっと今日になって」という心情。
 「どこかでは鳴いていただろうホトトギス、今日になってやっと我が家の里で鳴いている」という歌である。

 頭注に「大伴家持散る花橘を惜しむ歌」とある。
1489  我がやどの花橘は散り過ぎて玉に貫くべく実になりにけり
      (吾屋前之 花橘者 落過而 珠尓可貫 實尓成二家利)
 「我がやどの」は「我が家の庭」。花橘は橘の花。
 「我が家の庭の花橘はすっかり散ってしまって、今度は緒(ひも)を通して連ねる立派な実をつけるようになりました」という歌である。

 頭注に「大伴家持の霍公鳥の歌」とある。
1490  霍公鳥待てど来鳴かず菖蒲草玉に貫く日をいまだ遠みか
      (霍公鳥 雖待不来喧 <菖>蒲草 玉尓貫日乎 未遠美香)
 菖蒲草(アヤメグサ)は端午の節句に橘の実とともに飾る。平明歌。
 「ホトトギスの来訪を待ちわびているが、やって来て鳴かない。橘と一緒に飾る菖蒲草の季節がまだ先のことだからであろうか」という歌である。

 頭注に「大伴家持、雨の日に霍公鳥の鳴き声を聞いての歌」とある。
1491  卯の花の過ぎば惜しみか霍公鳥雨間も置かずこゆ鳴き渡る
      (宇乃花能 過者惜香 霍公鳥 雨間毛不置 従此間喧渡)
 結句の「こゆ鳴き渡る」は「この間ずっと鳴き続けている」という意味である。
 「卯の花の花が散ってゆくのを惜しむかのようにホトトギスは降る雨の間もずっと鳴き続けている」という歌である。

 頭注に「橘の歌」とあり、細注に「遊行女婦(うかれめ)とある。遊行女婦は宴会で接待を務めた女性か。
1492  君が家の花橘はなりにけり花のある時に逢はましものを
      (君家乃 花橘者 成尓家利 花乃有時尓 相益物乎)
 「逢はましものを」は「お逢いしたかったのに」という反語表現。宴会の席で誘われた彼女がその誘いをやんわりと断った歌か?。
 「あなたの家の花橘は(花が散って)もう実になったんでしょうね。花が咲いてるときにお逢いしたかったのに」という歌である。

 頭注に「大伴村上の橘の歌」とある。村上は高級官吏(後に民部省の小丞)。
1493  我がやどの花橘を霍公鳥来鳴き響めて本に散らしつ
      (吾屋前乃 花橘乎 霍公鳥 来鳴令動而 本尓令散都)
 「我がやどの」は「我が家の庭」。「本(もと)に」は「花橘の根元」のこと。
 「我が家の庭の花橘。ホトトギスがやってきて鳴き響かせ、花を散らせてしまった」という歌である。

 頭注に「大伴家持の霍公鳥の歌二首」とある。
1494  夏山の木末の茂に霍公鳥鳴き響むなる声の遥けさ
      (夏山之 木末乃繁尓 霍公鳥 鳴響奈流 聲之遥佐)
 木末(こぬれ)は梢。平明歌。
 「夏山の木々の梢の茂みでホトトギスがしきりに鳴き立てている。遠声ながら」という歌である。

1495  あしひきの木の間立ち潜く霍公鳥かく聞きそめて後恋ひむかも
      (足引乃 許乃間立八十一 霍公鳥 如此聞始而 後将戀可聞)
 「あしひきの」は枕詞。山が略されているとみれば「山」という意味。第二句原文「許乃間立八十一」は「木の間立ち潜く(くく)」と訓じられている。これは「九九、八十一」から由来するものだが、奈良時代に早くも九九があったようだ。本歌のほかに789番歌に「心ぐく思ほゆるかも~」とある。この「心ぐく」の原文が「情八十一」となっている。また、2545番歌は「若草の~憎くあらなくに」とある。この結句の「憎くあらなくに」の原文は「二八十一不在國」で、「憎く」が「二」と「八十一」では苦笑したくなるような表記である。そして、「木の間立ち潜く」は「木の間をかいくぐって」という意味である。
 「山の木立の間を飛び回ってホトトギスが鳴いている。ひとたび聞いたからにはあとあとその声が恋しくなるだろうな」という歌である。

 頭注に「大伴家持の石竹花(なでしこ)の歌」とある。
1496  我がやどのなでしこの花盛りなり手折りて一目見せむ子もがも
      (吾屋前之 瞿麥乃花 盛有 手折而一目 令見兒毛我母)
 「我がやどの」は「我が家の庭」。結句の「見せむ子もがも」は1344番歌の「~着せむ子もがも」と同様の表現。「~してやれる子がいたらなあ」という意味である。
 「我が家の庭のなでしこの花、いま真っ盛り。これを手折って一目見せてやれる子がいたらなあ」という歌である。

 頭注に「筑波山に登らずじまいを惜しむ歌」とある。筑波山は茨城県つくば市にそびえる山。
1497  筑波嶺に我が行けりせば霍公鳥山彦響め鳴かましやそれ
      (筑波根尓 吾行利世波 霍公鳥 山妣兒令響 鳴麻志也其)
 「山彦響(とよ)め」は「山にこだまして」である。歌末の「それ」は「そのホトトギス」という意味。 「筑波嶺に私が行っていたら、ホトギスは山を響かせて鳴いてくれただろうか、そのホトトギスが」という歌である。
 左注に「右の一首は高橋連蟲麻呂の歌集から採択した」とある。

 以上で夏雑歌は終了だが、ほとんどがホトトギスを詠んだ歌である。それともう一点。大伴家持の歌が突出している。33首中、実に4割にあたる13首が家持歌である。そしてそのいくつかには作者名だけでなく、「なかなかやってこなくて鳴かないホトトギスを恨む歌」とか「雨の日に霍公鳥の鳴き声を聞いての歌」といった個人的な日記からとったような注記が付いている。万葉集は家持編集説を裏付けるものか。
           (2014年8月31日記、2018年6月5日記)
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