万葉集読解・・・104(1511~1529番歌)
秋雜歌 (1511~1605番歌95首)
頭注に「崗本天皇の御製歌」とある。岡本天皇は宮を岡本(奈良県明日香村に置いた天皇で、三十四代舒明と三十七代斉明が該当する。舒明天皇説が有力視されている。
1511 夕されば小倉の山に鳴く鹿は今夜は鳴かず寐ねにけらしも
(暮去者 小倉乃山尓 鳴鹿者 今夜波不鳴 寐<宿>家良思母)
本歌は1664番歌と重出している。1664番歌は二十一代雄略天皇の御製となっていて、本歌の「鳴く鹿は」が「伏す鹿の」となっている。
「夕されば」は「夕方になると」という意味。「小倉の山」は候補が複数あって確定していない。「寐ねにけらしも」は「寝ているだろうか」という意味である。
「夕方になると小倉山の鹿が鳴くが、今夜は鳴かない。眠っているのだろうか」という歌である。
秋雜歌 (1511~1605番歌95首)
頭注に「崗本天皇の御製歌」とある。岡本天皇は宮を岡本(奈良県明日香村に置いた天皇で、三十四代舒明と三十七代斉明が該当する。舒明天皇説が有力視されている。
1511 夕されば小倉の山に鳴く鹿は今夜は鳴かず寐ねにけらしも
(暮去者 小倉乃山尓 鳴鹿者 今夜波不鳴 寐<宿>家良思母)
本歌は1664番歌と重出している。1664番歌は二十一代雄略天皇の御製となっていて、本歌の「鳴く鹿は」が「伏す鹿の」となっている。
「夕されば」は「夕方になると」という意味。「小倉の山」は候補が複数あって確定していない。「寐ねにけらしも」は「寝ているだろうか」という意味である。
「夕方になると小倉山の鹿が鳴くが、今夜は鳴かない。眠っているのだろうか」という歌である。
頭注に「大津皇子の御歌」とある。大津皇子は四十代天武天皇の皇子。
1512 経もなく緯も定めず娘子らが織る黄葉に霜な降りそね
(經毛無 緯毛不定 未通女等之 織黄葉尓 霜莫零)
「経(たて)もなく緯(ぬき)も定めず」は「縦糸や横糸の位置も定めず」という意味。「娘子らが」は「神女」ないし「仙女」のことである。自然が織りなす黄葉(もみじ)を織物になぞらえている。「霜な降りそね」は「な~そ」の禁止形。
「縦糸や横糸もなく、神々が織り上げたせっかくの美しい黄葉の海。霜が降りてきて台無しにしないでおくれ」という歌である。
1512 経もなく緯も定めず娘子らが織る黄葉に霜な降りそね
(經毛無 緯毛不定 未通女等之 織黄葉尓 霜莫零)
「経(たて)もなく緯(ぬき)も定めず」は「縦糸や横糸の位置も定めず」という意味。「娘子らが」は「神女」ないし「仙女」のことである。自然が織りなす黄葉(もみじ)を織物になぞらえている。「霜な降りそね」は「な~そ」の禁止形。
「縦糸や横糸もなく、神々が織り上げたせっかくの美しい黄葉の海。霜が降りてきて台無しにしないでおくれ」という歌である。
頭注に「穂積皇子の御歌二首」とある。穂積皇子は四十代天武天皇の皇子。
1513 今朝の朝明雁が音聞きつ春日山もみちにけらし我が心痛し
(今朝之旦開 鴈之鳴聞都 春日山 黄葉家良思 吾情痛之)
「今朝の朝明(あさけ)」は「夜明け」のこと。春日山は奈良の春日神社の東の山。
「夜明けに雁の鳴き声を聞いた。春日山は黄葉に色づいたことだろうな。秋が深まってきて心が切ない」という歌である。
1513 今朝の朝明雁が音聞きつ春日山もみちにけらし我が心痛し
(今朝之旦開 鴈之鳴聞都 春日山 黄葉家良思 吾情痛之)
「今朝の朝明(あさけ)」は「夜明け」のこと。春日山は奈良の春日神社の東の山。
「夜明けに雁の鳴き声を聞いた。春日山は黄葉に色づいたことだろうな。秋が深まってきて心が切ない」という歌である。
1514 秋萩は咲くべくあるらし我がやどの浅茅が花の散りゆく見れば
(秋芽者 可咲有良之 吾屋戸之 淺茅之花乃 散去見者)
「浅茅(あさぢ)が花」は茅花(つばな)(稲科の草)が伸びて穂になったもの。
「もう秋の萩が咲いてもおかしくない時節がやってきたようだ。我が家の庭の浅茅の花が散りつつあるところを見ると」という歌である。
(秋芽者 可咲有良之 吾屋戸之 淺茅之花乃 散去見者)
「浅茅(あさぢ)が花」は茅花(つばな)(稲科の草)が伸びて穂になったもの。
「もう秋の萩が咲いてもおかしくない時節がやってきたようだ。我が家の庭の浅茅の花が散りつつあるところを見ると」という歌である。
頭注に「但馬皇女(たぢまのひめみこ)の御歌」とあり、細注に「一書には子部王(こべのおほきみ)の歌」とある。但馬皇女は四十代天武天皇の皇女。子部王は伝未詳。
1515 言繁き里に住まずは今朝鳴きし雁にたぐひていなましものを [一云 国にあらずは]
(事繁 里尓不住者 今朝鳴之 鴈尓副而 去益物乎 [一云 國尓不有者])
「言(こと)繁き」は「人の口がうるさい」という意味。「雁にたぐひて」は「雁に寄り添って」という意味である。
「人の口がうるさい里になんか住んでいないで、今朝鳴いていた雁に寄り添って(見知らぬ)所へ行ってしまいたい(一に云う「国にいないで」)」という歌である。
1515 言繁き里に住まずは今朝鳴きし雁にたぐひていなましものを [一云 国にあらずは]
(事繁 里尓不住者 今朝鳴之 鴈尓副而 去益物乎 [一云 國尓不有者])
「言(こと)繁き」は「人の口がうるさい」という意味。「雁にたぐひて」は「雁に寄り添って」という意味である。
「人の口がうるさい里になんか住んでいないで、今朝鳴いていた雁に寄り添って(見知らぬ)所へ行ってしまいたい(一に云う「国にいないで」)」という歌である。
頭注に「山部王の秋の黄葉を惜しむ歌」とある。山部王は伝未詳。
1516 秋山にもみつ木の葉のうつりなばさらにや秋を見まく欲りせむ
(秋山尓 黄反木葉乃 移去者 更哉秋乎 欲見世武)
「もみつ」は「黄葉する」という、「うつりなば」は「散ってしまったなら」という意味。
「秋山の木の葉が紅葉して散ってしまったら、さらに色づく秋を見てみたくなるだろうね」という歌である。
1516 秋山にもみつ木の葉のうつりなばさらにや秋を見まく欲りせむ
(秋山尓 黄反木葉乃 移去者 更哉秋乎 欲見世武)
「もみつ」は「黄葉する」という、「うつりなば」は「散ってしまったなら」という意味。
「秋山の木の葉が紅葉して散ってしまったら、さらに色づく秋を見てみたくなるだろうね」という歌である。
頭注に「長屋王(ながやのおほきみ)の歌」とある。長屋王は四十代天武天皇の孫。
1517 味酒三輪の社の山照らす秋の黄葉の散らまく惜しも
(味酒 三輪乃祝之 山照 秋乃黄葉乃 散莫惜毛)
味酒(うまさけ)は枕詞。「社(やしろ)の山」を「岩波大系本」は「祝(はふり)の山」としている。そして、「神主、祢宜につづいて神に仕える人。ここでは広く神職をいう。」と注記。が、三輪山は神聖な神の山。それを神職の山と解するのはおかしい。なので「社(やしろ)の山」と訓じないと意味が通じない。 「伊藤本」は祝をはずしてズバリ「社の山」と訓じている。大賛成である。
「三輪神社の山を輝くばかりに美しく彩っている黄葉が散ってしまうのはいかにも惜しい」という歌である。
1517 味酒三輪の社の山照らす秋の黄葉の散らまく惜しも
(味酒 三輪乃祝之 山照 秋乃黄葉乃 散莫惜毛)
味酒(うまさけ)は枕詞。「社(やしろ)の山」を「岩波大系本」は「祝(はふり)の山」としている。そして、「神主、祢宜につづいて神に仕える人。ここでは広く神職をいう。」と注記。が、三輪山は神聖な神の山。それを神職の山と解するのはおかしい。なので「社(やしろ)の山」と訓じないと意味が通じない。 「伊藤本」は祝をはずしてズバリ「社の山」と訓じている。大賛成である。
「三輪神社の山を輝くばかりに美しく彩っている黄葉が散ってしまうのはいかにも惜しい」という歌である。
頭注に「山上臣憶良(やまのうへのおみおくら)の七夕の歌十二首(1518~1529番歌)」とある。山上憶良は学識豊富な代表的万葉歌人。
1518 天の川相向き立ちて我が恋ひし君来ますなり紐解き設けな [一云 川に向ひて]
(天漢 相向立而 吾戀之 君来益奈利 紐解設奈 [一云 向河])
結句の「紐解き設(ま)けな」は「紐を解いて用意しよう」という意味である。織女の立場にたった歌。
「天の川に向き合って我が恋しいあの方は川を渡っていらっしゃる。さあ、着物の紐を解いてお待ちしよう」という歌である。
左注に「養老八年(724年)七月七日皇太子の要請に応えて作った歌」とある。聖武天皇が皇太子だったのは養老八年二月まで。二月四日には即位して神亀元年と改元している。なので養老八年七月はない。注記の誤りか?。
1518 天の川相向き立ちて我が恋ひし君来ますなり紐解き設けな [一云 川に向ひて]
(天漢 相向立而 吾戀之 君来益奈利 紐解設奈 [一云 向河])
結句の「紐解き設(ま)けな」は「紐を解いて用意しよう」という意味である。織女の立場にたった歌。
「天の川に向き合って我が恋しいあの方は川を渡っていらっしゃる。さあ、着物の紐を解いてお待ちしよう」という歌である。
左注に「養老八年(724年)七月七日皇太子の要請に応えて作った歌」とある。聖武天皇が皇太子だったのは養老八年二月まで。二月四日には即位して神亀元年と改元している。なので養老八年七月はない。注記の誤りか?。
1519 久方の天の川瀬に舟浮けて今夜か君が我がり来まさむ
(久方之 漢<瀬>尓 船泛而 今夜可君之 我許来益武)
「久方の」は枕詞。「我がり」は現代でも「暗がり」というように「私の居場所」。
「天の川の瀬に舟を浮かべ、今夜あの方が私の所に来て下さる」という歌である。
左注に「神龜元年(724年)七月七日の夜左大臣宅にて作った歌」とある。左大臣は長屋王。
(久方之 漢<瀬>尓 船泛而 今夜可君之 我許来益武)
「久方の」は枕詞。「我がり」は現代でも「暗がり」というように「私の居場所」。
「天の川の瀬に舟を浮かべ、今夜あの方が私の所に来て下さる」という歌である。
左注に「神龜元年(724年)七月七日の夜左大臣宅にて作った歌」とある。左大臣は長屋王。
1520番 長歌
彦星は 織女と 天地の 別れし時ゆ いなうしろ 川に向き立ち 思ふそら 安けなくに 嘆くそら 安けなくに 青波に 望みは絶えぬ 白雲に 涙は尽きぬ かくのみや 息づき居らむ かくのみや 恋ひつつあらむ さ丹塗りの 小舟もがも 玉巻きの 真櫂もがも [一云 小棹もがも] 朝なぎに い掻き渡り 夕潮に [一云 夕にも] い漕ぎ渡り 久方の 天の川原に 天飛ぶや 領巾片敷き 真玉手の 玉手さし交へ あまた夜も 寐ねてしかも [一云 寐もさ寝てしか] 秋にあらずとも [一云 秋待たずとも]
(牽牛者 織女等 天地之 別時<由> 伊奈宇之呂 河向立 <思>空 不安久尓 嘆空 不安久尓 青浪尓 望者多要奴 白雲尓 な者盡奴 如是耳也 伊伎都枳乎良牟 如是耳也 戀都追安良牟 佐丹塗之 小船毛賀茂 玉纒之 真可伊毛我母 [一云 小棹毛何毛] 朝奈藝尓 伊可伎渡 夕塩尓 [一云 夕倍尓毛] 伊許藝渡 久方之 天河原尓 天飛也 領巾可多思吉 真玉手乃 玉手指更 餘宿毛 寐而師可聞 [一云 伊毛左祢而師加] 秋尓安良受登母 [一云 秋不待登毛])
彦星は 織女と 天地の 別れし時ゆ いなうしろ 川に向き立ち 思ふそら 安けなくに 嘆くそら 安けなくに 青波に 望みは絶えぬ 白雲に 涙は尽きぬ かくのみや 息づき居らむ かくのみや 恋ひつつあらむ さ丹塗りの 小舟もがも 玉巻きの 真櫂もがも [一云 小棹もがも] 朝なぎに い掻き渡り 夕潮に [一云 夕にも] い漕ぎ渡り 久方の 天の川原に 天飛ぶや 領巾片敷き 真玉手の 玉手さし交へ あまた夜も 寐ねてしかも [一云 寐もさ寝てしか] 秋にあらずとも [一云 秋待たずとも]
(牽牛者 織女等 天地之 別時<由> 伊奈宇之呂 河向立 <思>空 不安久尓 嘆空 不安久尓 青浪尓 望者多要奴 白雲尓 な者盡奴 如是耳也 伊伎都枳乎良牟 如是耳也 戀都追安良牟 佐丹塗之 小船毛賀茂 玉纒之 真可伊毛我母 [一云 小棹毛何毛] 朝奈藝尓 伊可伎渡 夕塩尓 [一云 夕倍尓毛] 伊許藝渡 久方之 天河原尓 天飛也 領巾可多思吉 真玉手乃 玉手指更 餘宿毛 寐而師可聞 [一云 伊毛左祢而師加] 秋尓安良受登母 [一云 秋不待登毛])
長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「 いなうしろ」は語義未詳。「イネで編んだむしろ」という説もある。が、歌意からすると「背中を向けて」という意味である。「安けなくに」は「心安らかでなく」という意味。「天飛ぶや」は枕詞。
(口語訳)
彦星は織女と天地が別れたいにしえより、背中を向けて天の川に向かって立ち、思う、心は安からず、嘆いてきた。心安からず川の青波に逢う望みを絶たれてしまった。白雲に遮られ、涙も涸れてしまった。こうしてため息ばかりつき、こうして恋い焦がれておられようか。赤く塗った小舟でもあったら、玉で飾った櫂があればなあ(一に云う「小櫂でもあればなあ」)。朝の凪ぎ時に漕ぎわたり、夕潮時に(一に云う「夕べにも」)漕ぎわたり、天の川原に領巾(ひれ)を床代わりに敷いて、互いの手を差し交わし、幾夜も幾夜も寝たいものだ。(一に云う「心ゆくまで寝たいものだ」)。(七夕の)秋でなくとも(一に云う「(七夕の)秋を待つことなく。
彦星は織女と天地が別れたいにしえより、背中を向けて天の川に向かって立ち、思う、心は安からず、嘆いてきた。心安からず川の青波に逢う望みを絶たれてしまった。白雲に遮られ、涙も涸れてしまった。こうしてため息ばかりつき、こうして恋い焦がれておられようか。赤く塗った小舟でもあったら、玉で飾った櫂があればなあ(一に云う「小櫂でもあればなあ」)。朝の凪ぎ時に漕ぎわたり、夕潮時に(一に云う「夕べにも」)漕ぎわたり、天の川原に領巾(ひれ)を床代わりに敷いて、互いの手を差し交わし、幾夜も幾夜も寝たいものだ。(一に云う「心ゆくまで寝たいものだ」)。(七夕の)秋でなくとも(一に云う「(七夕の)秋を待つことなく。
反 歌
1521 風雲は二つの岸に通へども我が遠妻の [一云 愛し妻の] 言ぞ通はぬ
(風雲者 二岸尓 可欲倍杼母 吾遠嬬之 [一云 波之嬬乃] 事曽不通)
「言(こと)ぞ通はぬ」は言葉も交わすことも出来ない」という意味である。
「風や雲は天の川の両岸を自由に行き来しているのに、遠い我が妻(一に云う「愛しい妻」)と言葉も交わすことが出来ない」という歌である。
1521 風雲は二つの岸に通へども我が遠妻の [一云 愛し妻の] 言ぞ通はぬ
(風雲者 二岸尓 可欲倍杼母 吾遠嬬之 [一云 波之嬬乃] 事曽不通)
「言(こと)ぞ通はぬ」は言葉も交わすことも出来ない」という意味である。
「風や雲は天の川の両岸を自由に行き来しているのに、遠い我が妻(一に云う「愛しい妻」)と言葉も交わすことが出来ない」という歌である。
1522 たぶてにも投げ越しつべき天の川隔てればかもあまたすべなき
(多夫手二毛 投越都倍<吉> 天漢 敝太而礼婆可母 安麻多須辨奈吉)
「たぶてにも」は「つぶてでも」という意味。
「つぶてでも投げれば向こう岸に届きそうな天の川なのにどうしても渡る術がない」という歌である。
左注に「天平元年(729年)七月七日夜天の川を仰ぎ觀ての作。あるいは大伴旅人の家での作」とある。
(多夫手二毛 投越都倍<吉> 天漢 敝太而礼婆可母 安麻多須辨奈吉)
「たぶてにも」は「つぶてでも」という意味。
「つぶてでも投げれば向こう岸に届きそうな天の川なのにどうしても渡る術がない」という歌である。
左注に「天平元年(729年)七月七日夜天の川を仰ぎ觀ての作。あるいは大伴旅人の家での作」とある。
1523 秋風の吹きにし日よりいつしかと我が待ち恋ひし君ぞ来ませる
(秋風之 吹尓之日従 何時可登 吾待戀之 君曽来座流)
読解不要の平明歌。
「秋風が吹き始めてこのかた、今か今かと待っていたあなたがやっといらっしゃいました」という歌である。
(秋風之 吹尓之日従 何時可登 吾待戀之 君曽来座流)
読解不要の平明歌。
「秋風が吹き始めてこのかた、今か今かと待っていたあなたがやっといらっしゃいました」という歌である。
1524 天の川いと川波は立たねどもさもらひかたし近きこの瀬を
(天漢 伊刀河浪者 多々祢杼母 伺候難之 近此瀬呼)
「さもらひかたし」は「様子をうかがうことも出来ない」という意味である。一年に一度しか逢うことが許されない宿命の歌である。
「天の川には激しい川波は立たないのに、(彼女の)様子をうかがうことさえ許されていない。こんなに近い川瀬なのに」という歌である。
(天漢 伊刀河浪者 多々祢杼母 伺候難之 近此瀬呼)
「さもらひかたし」は「様子をうかがうことも出来ない」という意味である。一年に一度しか逢うことが許されない宿命の歌である。
「天の川には激しい川波は立たないのに、(彼女の)様子をうかがうことさえ許されていない。こんなに近い川瀬なのに」という歌である。
1525 袖振らば見も交しつべく近けども渡るすべなし秋にしあらねば
(袖振者 見毛可波之都倍久 雖近 度為便無 秋西安良祢波)
「秋にしあらねば」は「七夕の時節でないので」という意味。
「袖振り交わすほど近くに居て川を渡る術がない。七夕の時節でないので」という歌である。
(袖振者 見毛可波之都倍久 雖近 度為便無 秋西安良祢波)
「秋にしあらねば」は「七夕の時節でないので」という意味。
「袖振り交わすほど近くに居て川を渡る術がない。七夕の時節でないので」という歌である。
1526 玉かぎるほのかに見えて別れなばもとなや恋ひむ逢ふ時までは
(玉蜻蜒 髣髴所見而 別去者 毛等奈也戀牟 相時麻而波)
「玉かぎる」は枕詞(?)。「ほのかに見えて」は「つかの間に逢って」という、「もとなや」は「心もとなく」ないしは「しきりに」という意味である。
「つかの間に逢って別れれば、また逢うときが来るまでしきりに恋いこがれるだろう」という歌である。
左注に「天平二年(730年)七月八日夜、大伴旅人家の集会の歌」とある。
(玉蜻蜒 髣髴所見而 別去者 毛等奈也戀牟 相時麻而波)
「玉かぎる」は枕詞(?)。「ほのかに見えて」は「つかの間に逢って」という、「もとなや」は「心もとなく」ないしは「しきりに」という意味である。
「つかの間に逢って別れれば、また逢うときが来るまでしきりに恋いこがれるだろう」という歌である。
左注に「天平二年(730年)七月八日夜、大伴旅人家の集会の歌」とある。
1527 彦星の妻迎へ舟漕ぎ出らし天の川原に霧の立てるは
(牽牛之 迎嬬船 己藝出良之 <天>漢原尓 霧之立波)
典型的な倒置表現歌。平明歌。
「天の川原に霧が立っている。彦星が妻を迎えに舟を漕ぎ出したようだ」という歌である。
(牽牛之 迎嬬船 己藝出良之 <天>漢原尓 霧之立波)
典型的な倒置表現歌。平明歌。
「天の川原に霧が立っている。彦星が妻を迎えに舟を漕ぎ出したようだ」という歌である。
1528 霞立つ天の川原に君待つとい行き帰るに裳の裾濡れぬ
(霞立 天河原尓 待君登 伊徃<還>尓 裳襴所沾)
「い行き帰るに」は「行ったり来たりしていたら」という意味。「い」は強意。
「霞がたちこめる天の川原を行ったり来たりしてあなたをお待ちしていたら裳の裾が濡れてしまいました」という歌である。
(霞立 天河原尓 待君登 伊徃<還>尓 裳襴所沾)
「い行き帰るに」は「行ったり来たりしていたら」という意味。「い」は強意。
「霞がたちこめる天の川原を行ったり来たりしてあなたをお待ちしていたら裳の裾が濡れてしまいました」という歌である。
1529 天の川浮津の波音騒くなり我が待つ君し舟出すらしも
(天河 浮津之浪音 佐和久奈里 吾待君思 舟出為良之母)
浮津(うきつ)は波止場のことを指しているようだ。
「天の川の船着き場が波立ってきた。お待ちするあの方が舟出されたらしい」という歌である。
(2014年9月6日記、2018年6月10日記)
(天河 浮津之浪音 佐和久奈里 吾待君思 舟出為良之母)
浮津(うきつ)は波止場のことを指しているようだ。
「天の川の船着き場が波立ってきた。お待ちするあの方が舟出されたらしい」という歌である。
(2014年9月6日記、2018年6月10日記)
Image may be NSFW.
Clik here to view.![イメージ 1]()
Clik here to view.