万葉集読解・・・105(1530~1547番歌)
頭注に「大宰府の長官以下諸々の官人一同が筑前國の蘆城(あしき)の驛家(うまや)で宴を催した時の歌二首」とある。蘆城の驛家は太宰府の東南4キロほどの地にあり、現在の福岡県筑紫野市。朝廷の勅使等重要な人物の送別に使用された。
1530 をみなへし秋萩交る蘆城の野今日を始めて万世に見む
(娘部思 秋芽子交 蘆城野 今日乎始而 萬代尓将見)
「をみなへし秋萩交る」とは「オミナエシと萩の花が咲き乱れる」という意味。「万世(よろづよ)に見む」は「いついつまでも見たい」という意味である。
「オミナエシと萩の花が咲き乱れる蘆城(あしき)の野。今後も幾度もやってきて見たい所だなあ」という歌である。
頭注に「大宰府の長官以下諸々の官人一同が筑前國の蘆城(あしき)の驛家(うまや)で宴を催した時の歌二首」とある。蘆城の驛家は太宰府の東南4キロほどの地にあり、現在の福岡県筑紫野市。朝廷の勅使等重要な人物の送別に使用された。
1530 をみなへし秋萩交る蘆城の野今日を始めて万世に見む
(娘部思 秋芽子交 蘆城野 今日乎始而 萬代尓将見)
「をみなへし秋萩交る」とは「オミナエシと萩の花が咲き乱れる」という意味。「万世(よろづよ)に見む」は「いついつまでも見たい」という意味である。
「オミナエシと萩の花が咲き乱れる蘆城(あしき)の野。今後も幾度もやってきて見たい所だなあ」という歌である。
1531 玉櫛笥蘆城の川を今日見ては万代までに忘らえめやも
(珠匣 葦木乃河乎 今日見者 迄萬代 将忘八方)
「玉櫛笥(たまくしげ)」の玉は美称なので櫛笥が本体。櫛を入れる箱。本来の意味に使われたり、枕詞的に使われたりしている。枕詞か否かはっきりしない。
「蘆城(あしき)の川がやっと見られた。後々まで忘られようか」という歌である。
左注に「右の二首は作者未詳」とある。
(珠匣 葦木乃河乎 今日見者 迄萬代 将忘八方)
「玉櫛笥(たまくしげ)」の玉は美称なので櫛笥が本体。櫛を入れる箱。本来の意味に使われたり、枕詞的に使われたりしている。枕詞か否かはっきりしない。
「蘆城(あしき)の川がやっと見られた。後々まで忘られようか」という歌である。
左注に「右の二首は作者未詳」とある。
頭注に「笠朝臣金村(かさのあそみかなむら)が伊香山(いかごやま)で作った二首」とある。伊香山は滋賀県長浜市内の山。
1532 草枕旅行く人も行き触ればにほひぬべくも咲ける萩かも
(草枕 客行人毛 徃觸者 尓保比奴倍久毛 開流芽子香聞)
「草枕」は枕詞(?)。「にほひぬべくも」は「今にも染められんと思えるほど」という意味である。
「草枕、旅行く人の袖に触れたら今にも染められんと思えるほど一面に萩が咲き乱れている」という歌である。
1532 草枕旅行く人も行き触ればにほひぬべくも咲ける萩かも
(草枕 客行人毛 徃觸者 尓保比奴倍久毛 開流芽子香聞)
「草枕」は枕詞(?)。「にほひぬべくも」は「今にも染められんと思えるほど」という意味である。
「草枕、旅行く人の袖に触れたら今にも染められんと思えるほど一面に萩が咲き乱れている」という歌である。
1533 伊香山野辺に咲きたる萩見れば君が家なる尾花し思ほゆ
(伊香山 野邊尓開有 芽子見者 公之家有 尾花之所念)
尾花(おばな)はススキの穂のこと。萩もススキも深い秋を意味している。
「伊香山の野辺に咲いている萩を見ると、あなたの家のススキが思い浮かぶ」という歌である。
(伊香山 野邊尓開有 芽子見者 公之家有 尾花之所念)
尾花(おばな)はススキの穂のこと。萩もススキも深い秋を意味している。
「伊香山の野辺に咲いている萩を見ると、あなたの家のススキが思い浮かぶ」という歌である。
頭注に「石川朝臣老夫(いしかわのあそみおきな)の歌」とある。
1534 をみなへし秋萩折れれ玉桙の道行きつとと乞はむ兒がため
(娘部志 秋芽子折礼 玉桙乃 道去裹跡 為乞兒)
「折れれ」は「折りなさい」という意味。「玉桙(たまほこ)の」は枕詞。 裹(つと)は手みやげ。 「オミナエシや萩の花を手折りなされ。旅のみやげをほしがる兒にこたえられるように」という歌である。
1534 をみなへし秋萩折れれ玉桙の道行きつとと乞はむ兒がため
(娘部志 秋芽子折礼 玉桙乃 道去裹跡 為乞兒)
「折れれ」は「折りなさい」という意味。「玉桙(たまほこ)の」は枕詞。 裹(つと)は手みやげ。 「オミナエシや萩の花を手折りなされ。旅のみやげをほしがる兒にこたえられるように」という歌である。
頭注に「藤原宇合卿(ふぢはらのうまかひまへつきみ)の歌」とある。宇合は藤原不比等の第三子。
1535 我が背子をいつぞ今かと待つなへに面やは見えむ秋の風吹く
(我背兒乎 何時曽且今登 待苗尓 於毛也者将見 秋風吹)
「待つなへに」の「なへに」は「~するとともに」という意味である。「面(おも)やは見えむ」は「お顔を見られるだろうか」という意味。本歌は「我が背子を」と歌い出しているのでまごうかたなく女心を詠んだ歌。宴席で冗談めかして詠われた歌なのだろうか。
「いとしいあの方はいついらっしゃるのかと待っているのだけれど、他方、ひょっとしていらっしゃらないのじゃないかと不安になる。もう秋の風が吹く時になってしまったわ」という歌である。
1535 我が背子をいつぞ今かと待つなへに面やは見えむ秋の風吹く
(我背兒乎 何時曽且今登 待苗尓 於毛也者将見 秋風吹)
「待つなへに」の「なへに」は「~するとともに」という意味である。「面(おも)やは見えむ」は「お顔を見られるだろうか」という意味。本歌は「我が背子を」と歌い出しているのでまごうかたなく女心を詠んだ歌。宴席で冗談めかして詠われた歌なのだろうか。
「いとしいあの方はいついらっしゃるのかと待っているのだけれど、他方、ひょっとしていらっしゃらないのじゃないかと不安になる。もう秋の風が吹く時になってしまったわ」という歌である。
頭注に「縁達帥(えんだちし)の歌」とある。縁達帥は伝未詳。
1536 宵に逢ひて朝面なみ名張野の萩は散りにき黄葉早継げ
(暮相而 朝面羞 隠野乃 芽子者散去寸 黄葉早續也)
「宵に逢ひて朝面(あしたおも)なみ」は序歌。情事の後の恥ずかしさで顔を隠すことを言っている。「名張野」を導く。「名張野」は原文に「隠野」とある。名張野は三重県名張市内。「黄葉早継げ」は「黄葉の季節が早くやってこないか」という意味である。
「宵に逢って女が朝恥じらいに顔を隠す、その名張野の萩は散ってしまった。早く黄葉の季節がやって来ないものだろうか」という歌である。
1536 宵に逢ひて朝面なみ名張野の萩は散りにき黄葉早継げ
(暮相而 朝面羞 隠野乃 芽子者散去寸 黄葉早續也)
「宵に逢ひて朝面(あしたおも)なみ」は序歌。情事の後の恥ずかしさで顔を隠すことを言っている。「名張野」を導く。「名張野」は原文に「隠野」とある。名張野は三重県名張市内。「黄葉早継げ」は「黄葉の季節が早くやってこないか」という意味である。
「宵に逢って女が朝恥じらいに顔を隠す、その名張野の萩は散ってしまった。早く黄葉の季節がやって来ないものだろうか」という歌である。
頭注に「山上臣憶良が詠んだ秋野の花の歌二首」とある。
1537 秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種の花 [其一]
(秋野尓 咲有花乎 指折 可伎數者 七種花 [其一])
「指(および)折りかき数ふれば」は「指折り数えてみると」ということである。
「秋の野に咲く花を指折り数えてみると七種(ななくさ)の花がある」という歌である。
1537 秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種の花 [其一]
(秋野尓 咲有花乎 指折 可伎數者 七種花 [其一])
「指(および)折りかき数ふれば」は「指折り数えてみると」ということである。
「秋の野に咲く花を指折り数えてみると七種(ななくさ)の花がある」という歌である。
1538 萩の花尾花葛花なでしこの花をみなへしまた藤袴朝顔の花 [其二]
(芽之花 乎花葛花 瞿麦之花 姫部志 又藤袴 朝皃之花 [其二])
旋頭歌である。前歌に詠った七種の花を並べた歌である。尾花はススキの穂。
「萩の花、尾花葛花、なでしこの花、をみなへし、また藤袴、朝顔の花」という歌である。
(芽之花 乎花葛花 瞿麦之花 姫部志 又藤袴 朝皃之花 [其二])
旋頭歌である。前歌に詠った七種の花を並べた歌である。尾花はススキの穂。
「萩の花、尾花葛花、なでしこの花、をみなへし、また藤袴、朝顔の花」という歌である。
頭注に「天皇の御製歌二首」とある。天皇は四十五代聖武天皇
1539 秋の田の穂田を雁が音暗けくに夜のほどろにも鳴き渡るかも
(秋<田>乃 穂田乎鴈之鳴 闇尓 夜之穂杼呂尓毛 鳴渡可聞)
「秋の田の穂田を」は「秋の実りを迎えた稲穂を」ということで、「稲穂を刈り取る」の「刈り」は「雁」を導く序歌。「雁が音(ね)」は「雁そのもの」のこと。「夜のほどろ」は「夜もまだ明け切らぬ朝方」という意味。
「実った秋の稲穂を刈り取る、その雁が夜もまだ明け切らぬ朝暗い内から鳴きながら渡っていく」という歌である。
1539 秋の田の穂田を雁が音暗けくに夜のほどろにも鳴き渡るかも
(秋<田>乃 穂田乎鴈之鳴 闇尓 夜之穂杼呂尓毛 鳴渡可聞)
「秋の田の穂田を」は「秋の実りを迎えた稲穂を」ということで、「稲穂を刈り取る」の「刈り」は「雁」を導く序歌。「雁が音(ね)」は「雁そのもの」のこと。「夜のほどろ」は「夜もまだ明け切らぬ朝方」という意味。
「実った秋の稲穂を刈り取る、その雁が夜もまだ明け切らぬ朝暗い内から鳴きながら渡っていく」という歌である。
1540 今朝の朝明雁が音寒く聞きしなへ野辺の浅茅ぞ色づきにける
(今朝乃旦開 鴈鳴寒 聞之奈倍 野邊能淺茅曽 色付丹来)
「聞きしなへ」は「~するとともに」の「なへ」、「聞くと共に」という意味である。「浅茅(あさじ)」は「たけの低い茅菅(ちがや)」のこと。
「今朝の夜明けに寒々と鳴く雁の鳴き声を聞いたけれど、折りも折り、野辺では浅茅が色づいてきた」という歌である。
(今朝乃旦開 鴈鳴寒 聞之奈倍 野邊能淺茅曽 色付丹来)
「聞きしなへ」は「~するとともに」の「なへ」、「聞くと共に」という意味である。「浅茅(あさじ)」は「たけの低い茅菅(ちがや)」のこと。
「今朝の夜明けに寒々と鳴く雁の鳴き声を聞いたけれど、折りも折り、野辺では浅茅が色づいてきた」という歌である。
頭注に「大宰帥大伴卿の歌二首」とある。太宰府長官大伴旅人の歌。
1541 我が岡にさ牡鹿来鳴く初萩の花妻どひに来鳴くさ牡鹿
(吾岳尓 棹壮鹿来鳴 先芽之 花嬬問尓 来鳴棹壮鹿)
「さ牡鹿(をしか)」は強意の「さ」。平明歌。
「我が家の岡に壮鹿がやって来て鳴いている。初萩の花を妻に見立ててやってきて鳴くのだろうか」という歌である。
1541 我が岡にさ牡鹿来鳴く初萩の花妻どひに来鳴くさ牡鹿
(吾岳尓 棹壮鹿来鳴 先芽之 花嬬問尓 来鳴棹壮鹿)
「さ牡鹿(をしか)」は強意の「さ」。平明歌。
「我が家の岡に壮鹿がやって来て鳴いている。初萩の花を妻に見立ててやってきて鳴くのだろうか」という歌である。
1542 我が岡の秋萩の花風をいたみ散るべくなりぬ見む人もがも
(吾岳之 秋芽花 風乎痛 可落成 将見人裳欲得)
「風をいたみ」は「風が激しいので」という、「見む人もがも」は「見る人がいたらなあ」という意味である。
「我が家の岡の秋萩の花は風が激しいので今にも散りそうである。その前にやってきて見る人がいたらなあ」という歌である。
(吾岳之 秋芽花 風乎痛 可落成 将見人裳欲得)
「風をいたみ」は「風が激しいので」という、「見む人もがも」は「見る人がいたらなあ」という意味である。
「我が家の岡の秋萩の花は風が激しいので今にも散りそうである。その前にやってきて見る人がいたらなあ」という歌である。
頭注に「三原王(みはらのおほきみ)の歌」とある。三原王は四十七代淳仁天皇の兄皇子。
1543 秋の露は移しにありけり水鳥の青羽の山の色づく見れば
(秋露者 移尓有家里 水鳥乃 青羽乃山能 色付見者)
「移しにありけり」は「染料なのだな」という意味。
「秋の露は染料だったんだな。水鳥の青羽のように山が秋の色に染まっていくのを見ると」という歌である。
1543 秋の露は移しにありけり水鳥の青羽の山の色づく見れば
(秋露者 移尓有家里 水鳥乃 青羽乃山能 色付見者)
「移しにありけり」は「染料なのだな」という意味。
「秋の露は染料だったんだな。水鳥の青羽のように山が秋の色に染まっていくのを見ると」という歌である。
頭注に「湯原王(ゆはらのおほきみ)の七夕の歌二首」とある。湯原王は三十八代天智天皇の孫。
1544 彦星の思ひますらむ心より見る我れ苦し夜の更けゆけば
(牽牛之 念座良武 従情 見吾辛苦 夜之更降去者)
「思ひますらむ」は「思っていらっしゃる」という敬語表現。
「彦星が抱いておられるだろう苦しい心情もさりながら、夜が更けてゆくにつれ、見ている私も苦しく切なくなる」という歌である。
1544 彦星の思ひますらむ心より見る我れ苦し夜の更けゆけば
(牽牛之 念座良武 従情 見吾辛苦 夜之更降去者)
「思ひますらむ」は「思っていらっしゃる」という敬語表現。
「彦星が抱いておられるだろう苦しい心情もさりながら、夜が更けてゆくにつれ、見ている私も苦しく切なくなる」という歌である。
1545 織女の袖継ぐ宵の暁は川瀬の鶴は鳴かずともよし
(織女之 袖續三更之 五更者 河瀬之鶴者 不鳴友吉)
「袖継ぐ宵」は「袖を重ねた夜」すなわち「一夜を共にした宵」のことである。
「織女が一年一度の逢う瀬に彦星と一夜を共にした宵の暁は、川瀬の鶴よ、暁を告げて鳴かなくともよい」という歌である。
(織女之 袖續三更之 五更者 河瀬之鶴者 不鳴友吉)
「袖継ぐ宵」は「袖を重ねた夜」すなわち「一夜を共にした宵」のことである。
「織女が一年一度の逢う瀬に彦星と一夜を共にした宵の暁は、川瀬の鶴よ、暁を告げて鳴かなくともよい」という歌である。
頭注に「市原王(いちはらのおほきみ)の七夕の歌」とある。
1546 妹がりと我が行く道の川しあればつくめ結ぶと夜ぞ更けにける
(妹許登 吾去道乃 河有者 附目緘結跡 夜更降家類)
「妹がりと」は「彼女の所へと」という意味である。「つくめ」は「櫓をつなぎ止めるための舟の突起物」のことだというがはっきりしない。「つくめ結ぶと」は「出航の準備をしていると」いう意味に解しておこう。
「彼女の所へ行くべく天の川へ出航の準備をしている内に夜が更けてしまった」という歌である。
1546 妹がりと我が行く道の川しあればつくめ結ぶと夜ぞ更けにける
(妹許登 吾去道乃 河有者 附目緘結跡 夜更降家類)
「妹がりと」は「彼女の所へと」という意味である。「つくめ」は「櫓をつなぎ止めるための舟の突起物」のことだというがはっきりしない。「つくめ結ぶと」は「出航の準備をしていると」いう意味に解しておこう。
「彼女の所へ行くべく天の川へ出航の準備をしている内に夜が更けてしまった」という歌である。
頭注に「藤原朝臣八束(ふぢはらのやつか)の歌」とある。八束は藤原不比等の孫にあたる。
1547 さ牡鹿の萩に貫き置ける露の白玉あふさわに誰れの人かも手に巻かむちふ
(棹四香能 芽二貫置有 露之白珠 相佐和仁 誰人可毛 手尓将巻知布)
旋頭歌。「さ牡鹿(をしか)」は強意の「さ」。とまどうのが「萩に貫(ぬ)き置ける露」という表現。「露を置く」なら分かるが露を貫(つらぬ)いたら壊れてしまう。が、これに続く「白玉」で意味が判然とする。白玉は真珠のことである。結句の「手に巻かむちふ」と考え合わせれば、萩の枝を取り巻く葉の上にぴっしり並んだ露の玉。それが手に巻いた真珠の腕輪のように見えた様子を歌にしているのである。「あふさわに」は「軽率に」という意味。萩と白露のため息の出るような美しさを詠ったものである。
「牡鹿が萩の枝に貫いたような美しい露の白玉群。それをうっかり手に巻こうと誰がするというのでしょう」という歌である。
(2014年9月9日記、2018年6月12日記)
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1547 さ牡鹿の萩に貫き置ける露の白玉あふさわに誰れの人かも手に巻かむちふ
(棹四香能 芽二貫置有 露之白珠 相佐和仁 誰人可毛 手尓将巻知布)
旋頭歌。「さ牡鹿(をしか)」は強意の「さ」。とまどうのが「萩に貫(ぬ)き置ける露」という表現。「露を置く」なら分かるが露を貫(つらぬ)いたら壊れてしまう。が、これに続く「白玉」で意味が判然とする。白玉は真珠のことである。結句の「手に巻かむちふ」と考え合わせれば、萩の枝を取り巻く葉の上にぴっしり並んだ露の玉。それが手に巻いた真珠の腕輪のように見えた様子を歌にしているのである。「あふさわに」は「軽率に」という意味。萩と白露のため息の出るような美しさを詠ったものである。
「牡鹿が萩の枝に貫いたような美しい露の白玉群。それをうっかり手に巻こうと誰がするというのでしょう」という歌である。
(2014年9月9日記、2018年6月12日記)