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万葉集読解・・・(1548~1559番歌)


     万葉集読解・・・106(1548~1559番歌)
 頭注に「大伴坂上郎女(さかのうへのいらつめ)の晩萩(おそはぎ)の歌」とある。
1548  咲く花もをそろは厭はしおくてなる長き心になほしかずけり
      (咲花毛 乎曽呂波猒 奥手有 長意尓 尚不如家里)
 「をそろ」は654番歌に実例があって「相見ては月も経なくに恋ふと言はばをそろと我れを思ほさむかも」とある。歌意から明らかなように「軽率」という意味である。が、本歌の場合は「いちはやく」という意味である。「厭はし」は「好きになれない」という、「おくてなる」は「遅咲きの」という意味である。
 「咲く花は色々ですが、いちはやく咲く萩はあまり好きになれません。息長く待って咲くおくての心には勝てませんね」という歌である。

 頭注に「典鑄正(てんちうのかみ)紀朝臣鹿人(きのかひと)が、衛門大尉(ゑもんのだいじょう)大伴宿祢稲公(おほとものいなきみ)が跡見(とみ)に到着したとき作った歌」とある。典鑄司は大蔵省に属し、金・銀・銅・鉄の鋳造、玉作り等を担当した役所。典鑄正はその長官。衛門大尉は宮城警護の役所で長官、次官に次ぐ役職。
1549  射目立てて跡見の岡辺のなでしこの花総手折り我れは持ちて行く奈良人のため
      (射目立而 跡見乃岳邊之 瞿麦花 總手折 吾者将去 寧樂人之為)
  五七七五七七の旋頭歌。
 「射目(いめ)立てて」は本歌のほかに長歌の例がある。3278番長歌の「~射目立てて 鹿猪(しし)待つがごと~」とある。射目は獲物を射止めるために身を隠して待ち伏せする場所のことを言っている。この例からすると、「射目立てて」は跡見(とみ)の岡辺は獲物を待つ恰好の場所だったようだ。その跡見の岡は奈良県桜井市内の地名と見られている。「総(ふさ)手折り」は「総どり」で「手あたり次第」という意味である。
 「跡見の岡に咲いているナデシコの花、手いっぱい折り取って平城京の官吏仲間のために持って帰ろう」という歌である。

 頭注に「湯原王(ゆはらのおほきみ)の鳴く鹿の歌」とある。湯原王は三十八代天智天皇の孫。
1550  秋萩の散りの乱れに(定訓「乱ひに」)呼びたてて鳴くなる鹿の声の遥けさ
      (秋芽之 落乃乱尓 呼立而 鳴奈流鹿之 音遥者)
 第二句の原文は「落乃乱尓」である。これを「佐々木本」以下四書はすべて「散りの乱(まが)ひに」と訓じている。が、細かいようだが私は引っかかった。というのも、「まがふ」は「乱ふ」ではなく「紛ふ」という表記だと私は記憶していたからである。「紛ふ」は「入り乱れる」という意味なので「紛ふ」を「乱ふ」としてよければ、意味上は大差ない。が、「まがふ」を本当に「乱ふ」と表記できるのか、という問題である。
 もしもそんな実例がないのであれば「乱尓」を「まがひに」と訓ずるのは問題と言わなければならない。そう思って全万葉集歌に当たってみることにした。
 「乱」が使用されている歌は実に40例ほどに及ぶ。そして「乱」はすべて「みだれ」と訓じられている。大部分は「乱而(みだれて)」(199番歌、424番歌等)の例で、原文は「念乱而」、「思乱而」等。これらは「思ひみだれて」と訓じられている。他に「入乱(入りみだれ)」(57番歌)「心乱(心乱れて)」(1805番歌)等があるが、すべて「みだれ」と訓じられていることに注目いただきたい。
 他方、「まがひ」と訓じられている歌を拾うと9例ある。すべて原文は「乱尓」と表記されていると思ったら、9例中3例はすべて一音一字表記になっている。この3例をすべて掲げると次のとおりである。
3700番歌 毛美知葉能 知里能麻河比波(黄葉の 散りのまがひは)
3963番歌 春花乃 知里能麻我比尓 (春花の 散りのまがひに)
3993長歌  波奈知利麻我比(花散りまがひ)
 これでお分かりのように、原文はすべて「ま、が、ひ」と表記しているのである。こうなると「乱」が「まがひ」なら「乱」一字の表記で済む筈。それをわざわざ「ま、が、ひ」と表記しているのである。私には、これは作者が「まがひ」と表記したいときだけ「ま、が、ひ」としたのではないか、と思われるのである。
 そこで、残る問題は「乱」を「まがひ」と訓じた6例に当たればいいことになる。6例中3例は「散之乱尓」(135番歌と838番歌)と「落乃乱尓」(1550番歌すなわち本歌)である。すべて「散りの乱(まが)ひに」と訓じられている。この3歌の「乱尓」は紛を乱に変更してまでわざわざ「まがひ」と訓じる必要性が感じられない。すなおに「散りの乱れに」と訓じて一向に差し支えない。普通に「散り乱れる」という意味である。
 残るは3例。838番歌の「勿散乱曽(な散り乱ひそ)」、1747番長歌の「落莫乱(散りな乱ひそ)」、3303番長歌の「散乱有(散り乱ひたる)」の3例。これら3例も「乱尓」の場合と同様、わざわざ「まがひ」と訓じる必要性が感じられない。たとえば最後の「散り乱ひたる」はそのまますなおに「散り乱れたる」で十分ではないか。
 以上、万葉全歌に表記された「乱」はすべて「乱れて」として差し支えないのである。
 さて、手間取ってしまったが、本題に入ろう。
 「呼びたてて」がキーワード。「(惜しむように)呼びたてて」という意味である。
 「萩の花が散り乱れている。それを惜しんで萩に呼びかけているように遠くから鹿が鳴き立てている」という歌である。

 頭注に「市原王(いちはらのおほきみ)の歌」とある。市原王は三十八代天智天皇の曾孫安貴王の子。
1551  時待ちて降れるしぐれの雨やみぬ明けむ朝か山のもみたむ
      (待時而 落鍾礼能 雨零収 開朝香 山之将黄變)
 「時待ちて」は「時を待っていたように」という意味である。結句の「山のもみたむ」は耳慣れない用語だが、1516番歌に「秋山にもみつ木の葉の~」と見える「もみつ」である。「紅葉化した」という意味。の推量形である。「たむ」は推量なので「山のもみたむ」は「山が黄葉化するだろう」という意味である。
 「時を待っていたように、季節がやってきて、しぐれ雨が降って止んだ。明日の朝は山が黄葉化していることだろう」という歌である。

 頭注に「湯原王の蟋蟀(こほろぎ)の歌」とある。湯原王は前々歌頭注参照。
1552  夕月夜心もしのに白露の置くこの庭にこほろぎ鳴くも
      (暮月夜 心毛思努尓 白露乃 置此庭尓 蟋蟀鳴毛)
 「心もしのに」は「心もしおれる」という意味だが、ここでは「しんみりと」とした方がしっくりくる。
 「夕月夜、白露が降りたこの庭にコオロギが鳴いているのを聞いていると心がしんみりする」という歌である。

 頭注に「衛門大尉大伴宿祢稲公の歌」とる。稲公(いなきみ)は1549番歌頭注参照。
1553  時雨の雨間なくし降れば三笠山木末あまねく色づきにけり
      (鍾礼能雨 無間零者 三笠山 木末歴 色附尓家里)
 「間なくし降れば」は「降るので」という意味である。三笠山は春日大社の背後の山。木末(こぬれ)は梢のこと。
 「しぐれ雨が絶え間なく降り続き、三笠山の木々の梢一面すっかり色づいてきた」という歌である。

 頭注に「大伴家持が応えた歌」とある。
1554  大君の御笠の山の黄葉は今日の時雨に散りか過ぎなむ
      (皇之 御笠乃山能 秋黄葉 今日之鍾礼尓 散香過奈牟)
 「大君の」は本来天皇を指す用語であるが、本歌の場合は「御笠(三笠)の山」の美称と考えていいだろう。ただ、御笠にかかる「大君の」は本歌のほかに1102番歌の一例しかなく、断定し難い。「岩波大系本」や「伊藤本」は枕詞としているが・・・。
 「御笠の山の黄葉(もみぢば)は今日のこの時雨で散ってしまうだろうか」という歌である。

 頭注に「安貴王(あきのおほきみ)の歌」とある。1151番歌の作者市原王の父。
1555  秋立ちて幾日もあらねばこの寝ぬる朝明の風は手本寒しも
      (秋立而 幾日毛不有者 此宿流 朝開之風者 手本寒母)
 「秋立ちて」は「立秋」のこと。「手本」は「袖口」。
 「立秋を過ぎて幾日も経たないのに、寝ていて、朝起きがけの風の袖口の寒いこと」という歌である。

 頭注に「忌部首黒麻呂(いむべのおびとくろまろ)の歌」とある。黒麻呂は官僚。
1556  秋田刈る仮廬もいまだ壊たねば雁が音寒し霜も置きぬがに
      (秋田苅 借蘆毛未壊者 鴈鳴寒 霜毛置奴我二)
 仮廬(かりほ)は稲の収穫時に作られる作業小屋。「壊(こぼ)たねば」は「取り払わないのに」という意味である。「霜も置きぬがに」は「霜も田に置きかねない」、つまり「霜が降りかねない」という意味である。
 「秋田の収穫用に作った作業小屋もまだ取り壊していないのに、早くも雁が寒々とした鳴き声を発している。このぶんだと霜が降りかねない」という歌である。

 頭注に「故郷豊浦の尼寺の尼私室で開かれた宴会での歌三首」とある。豊浦(とうら)は奈良県明日香村内の地名。
1557  明日香川行き廻る岡の秋萩は今日降る雨に散りか過ぎなむ
      (明日香河 逝廻丘之 秋芽子者 今日零雨尓 落香過奈牟)
 「散りか過ぎなむ」は「散ってしまうのでしょうか」という意味である。
 「明日香川がめぐり流れる岡の秋萩は今日降っている雨で散ってしまうのでしょうか」という歌である。
 左注に「右は丹比真人國人(たぢのまひとくにひと)の歌」とある。

1558  鶉鳴く古りにし里の秋萩を思ふ人どち相見つるかも
      (鶉鳴 古郷之 秋芽子乎 思人共 相見都流可聞)
 「思ふ人どち」は「気心の知れたもの同士」という意味である。
 「ウズラが鳴いている古びた里の秋萩を私たち気心の知れたもの同士共に見ましたね」という歌である。

1559  秋萩は盛り過ぐるをいたづらにかざしに挿さず帰りなむとや
      (秋芽子者 盛過乎 徒尓 頭刺不挿 還去牟跡哉)
 「いたづらに」は「なにもしないで」、「このまま」といった意味。
 「秋萩はもうすぐ盛りを過ぎてしまいます。髪に挿すかざしにもしないでこのままお帰りになってしまうんですか」という歌である。
 左注に「右二首は沙弥尼等(さみにたちの)の歌」とある。沙弥尼は仏門に入りたての尼や僧。
           (2014年9月13日記、2018年6月15日記)
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