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万葉集読解・・・110(1606~1621番歌)

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     万葉集読解・・・110(1606~1621番歌)
 秋相聞 (1606~1635番歌30首)
 頭注に「額田王(ぬかたのおほきみ)、近江天皇をしのんで作る歌」とある。近江天皇は三十八代天智天皇。
1606  君待つと我が恋ひをれば我が宿の簾動かし秋の風吹く
      (君待跡 吾戀居者 我屋戸乃 簾令動 秋之風吹)
 488番歌と重複歌。何気ない歌に見えながら天智をしのぶ心情がひしひしと伝わってくる名歌である。
 「もしやあなた様がおいでかと恋しのんでお待ちしていたら、家の簾を動かして秋の風が吹き込んでまいります」という歌である。

 頭注に「鏡王女(かがみのおほきみ)が作った歌」とある。鏡王女は額田王の姉とも言われる。
1607  風をだに恋ふるは羨し風をだに来むとし待たば何か嘆かむ
      (風乎谷 戀者乏 風乎谷 将来常思待者 何如将嘆)
 489番歌と重複歌。前歌を受けて詠んだ歌で、どこか軽やかな調子の歌である。即興歌か?。
 「受けた風にさえ、もしやと反応するお方がおられるとは羨ましい。待つのがどうして嘆かわしいのかしら」という歌である。

 頭注に「弓削皇子(ゆげのみこ)の御歌」とある。弓削皇子は四十代天武天皇の皇子。
1608  秋萩の上に置きたる白露の消かもしなまし恋ひつつあらずは
      (秋芽子之 上尓置有 白露乃 消可毛思奈萬思 戀管不有者)
 2254番歌と重複歌。ただし2254番歌は作者不記載。また、下二句が本歌と全く同じの歌が他に二首ある。参考までに掲げておくと次の二首である。
  秋の穂をしのに押しなべ置く露の消かもしなまし恋ひつつあらずは(2256番歌)
  秋萩の枝もとををに置く露の消かもしなまし恋ひつつあらずは(2258番歌)
 この二首は下三句が全く同じである。そして2254番歌も含めたこれら三首は2254~2258番歌の間に近接して登載されている。つまり、同一編者と思われるのに、何の注もなく登載されている。不可解といえば不可解な話だが、なぜそうなっているのか理由が分からない。
 さて、本歌だが、「消(け)かもしなまし」は「露と消えて死んでしまいたい」という意味である。
 「秋萩の上に付いた白露のように露と消えて死んでしまいたい。こうしてもんもんと恋いこがれているくらいなら」という歌である。

 頭注に「丹比真人(たぢひのまひと)の歌」とあり、細注に「名を欠く」とある。
1609  宇陀の野の秋萩しのぎ鳴く鹿も妻に恋ふらく我れにはまさじ
      (宇陀乃野之 秋芽子師弩藝 鳴鹿毛 妻尓戀樂苦 我者不益)
 宇陀の野は奈良県宇陀市内の野。「しのぎ」は「押し分けて」という意味である。
 「宇陀の野の秋萩を押し分けて鳴く鹿は妻恋しさに鳴くのだろうが、この私ほどではなかろう」という歌である。

 頭注に「丹生女王(にふのおほきみ)が大宰帥大伴卿に贈った歌」とある。丹生女王は系未詳。大宰帥大伴卿は大伴家持の父大伴旅人。
1610  高円の秋野の上のなでしこの花うら若み人のかざししなでしこの花
      (高圓之 秋野上乃 瞿麦之花 丁壮香見 人之挿頭師 瞿麦之花)
 五七七五七七の旋頭歌。
 高円山(たかまどやま)は奈良市春日山の南方の山。「うら若み」は「~なので」の「み」、「まだ咲いて間がないので」という意味である。「かざしし」は「髪にかざった」という意味。
 「高円の秋野に咲いたナデシコの花。初々しいのでどなたかがかざしになさった、そのナデシコの花」という歌である。

 頭注に「笠縫女王(かさぬひのおほきみ)の歌」とあり、細注に「六人部王(むとべのおほきみ)と田形皇女(たがたのひめみこ)の娘」とある。
1611  あしひきの山下響め鳴く鹿の言ともしかも我がこころ夫
      (足日木乃 山下響 鳴鹿之 事乏可母 吾情都末)
 「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「言ともしかも」は「愛の言葉が欲しい」という意味。「我がこころ夫(つま)」という表現は他に類例がない。が、「密かに思いを寄せるお方」という意味である。
 「山辺を響かせて鹿が妻恋に鳴くが、そのようにも愛の言葉をかけてほしい。密かに思いを寄せるお方よ」という歌である。

 頭注に「石川賀係女郎(いしかはのかけのいらつめ)の歌」とある。賀係女郎は伝未詳。
1612  神さぶといなにはあらず秋草の結びし紐を解くは悲しも
      (神佐夫等 不許者不有 秋草乃 結之紐乎 解者悲哭)
 「神(かむ)さぶと」は「古びた」ないし「古めかしい」という意味。
 762番歌に「神さぶといなにはあらずはたやはたかくして後に寂しけむかも」とある。上二句「神さぶといなにはあらず」は本歌の上二句と全く同じである。私はこの上二句を
「もうお婆さんだからって受け入れたくないわけじゃありません」と解読している。本歌の上二句も全く同じと考えてよかろう。「秋草の」は全万葉集歌中本歌以外に全く例がなく枕詞(?)。問題は下二句「結びし紐を解くは悲しも」。「しっかり結んだ紐を解くのは悲しい」すなわち「共寝するのは悲しい」という意味だが、男の誘いを断る言い訳だろうか。誘われた男とは別に「潔白を誓い合った男がいる」という意味だろうか、よく分からない。
 「もうお婆さんだからって受け入れたくないわけではありません。秋草のように結んだ紐を解くのは悲しゅうございます」という歌である。

 頭注に「賀茂女王(かものおほきみ)の歌」とあり、細注に「長屋王(ながやのおほきみ)の娘、母は阿倍朝臣(あべのあそみ)という」とある。長屋王は四十代天武天皇の孫。
1613  秋の野を朝行く鹿の跡もなく思ひし君に逢へる今夜か
      (秋野乎 旦徃鹿乃 跡毛奈久 念之君尓 相有今夜香)
 上三句は恋人に喩えた序歌。
 「秋の野を朝歩いていった鹿の行方が分からないように、どこに出かけておられるか分からないあの方に今宵こそ逢えますわ」という歌である。
 左注に「作者は椋橋部女王(くらはしべのおほきみ)とも笠縫女王(かさぬひのおほきみ)とも言われる」とある。

 頭注に「遠江守櫻井王(さくらゐのおほきみ)が天皇に奉った歌」とある。遠江(とほつあふみ)は静岡県西部。天皇は四十五代聖武天皇。
1614  九月のその初雁の使にも思ふ心は聞こえ来ぬかも
      (九月之 其始鴈乃 使尓毛 念心者 <所>聞来奴鴨)
 「初雁の使」は「岩波大系本」に中国の故事に基づいて「雁の足に手紙をつけて本国に連絡したという故事によって、手紙の使の意に用いる」とある。使いのこと。「来ぬかも」は「お耳に入らないかなあ」という願望。
 「九月(ながつき)の雁の使いではありませんが、お慕い申し上げているこの私の心が届けられることがあるとよろしいのですが」という歌である。

 頭注に「お応えになった天皇の御歌」とあり、細注に「大の浦は遠江の国の海浜の名」とある。遠江は静岡県西部。
1615  大の浦のその長浜に寄する波ゆたけく君を思ふこのころ
      (大乃浦之 其長濱尓 縁流浪 寛公乎 念<比>日 [大浦者遠江國之海濱名也])
 「ゆたけく」は「ゆったりと」。平明歌。
 「大の浦の長浜に打ち寄せる波のようにゆったりとあなたのことを思っている日々です」という歌である。

 頭注に「笠女郎(かさのいらつめ)が大伴家持に贈った歌」とある。笠女郎は587番歌始め29首もの歌を大伴家持に贈った代表的万葉歌人の一人。
1616  朝ごとに我が見る宿のなでしこの花にも君はありこせぬかも
      (毎朝 吾見屋戸乃 瞿麦之 花尓毛君波 有許世奴香裳)
 「ありこせぬかも」は「~であってくれたらなあ」という意味である。
 「毎朝私が眺めている我が家の庭のナデシコの花、あなたがこのナデシコの花であったらなあ」という歌である。

 頭注に「山口女王(やまぐちのおほきみ)が大伴家持に贈った歌」とある。山口女王は系統未詳。
1617  秋萩に置きたる露の風吹きて落つる涙は留めかねつも
      (秋芽子尓 置有露乃 風吹而 落涙者 留不勝都毛)
 読解不要の平明歌。
 「秋萩に付いている露が風が吹くとポロポロと流れ落ちる。そんな風に私の涙はこぼれ落ちてとめられません」という歌である。

 頭注に「湯原王(ゆはらのおほきみ)が娘子(をとめ)に贈った歌」とある。湯原王は四十代天武天皇の孫皇子。
1618  玉に貫き消たず賜らむ秋萩の末わわらばに置ける白露
      (玉尓貫 不令消賜良牟 秋芽子乃 宇礼和々良葉尓 置有白露)
 「玉に貫(ぬ)き」は「玉を緒に通して」という、「消たず賜(たば)らむ」は「消さないで賜りたい」という意味である。「末(うれ)」は梢ないし枝先。「わわらば」は「ををりに」で、「たわむほどに」という意味である。
 「緒に通して飾りにしたいので、消えないで賜りたいものです。秋萩の枝先がたわむほどぴっしり付いた真珠のように美しい白露を」という歌である。

 頭注に「大伴家持が姑(おば)の坂上郎女の居る竹田の庄(たどころ)に到着して作った歌」とある。竹田庄は奈良県橿原市に存在する耳成山(みみなしやま)の北東にあったと考えられている。坂上郎女は太宰府から奈良に帰って竹田庄に住んでいたらしい。
1619  玉桙の道は遠けどはしきやし妹を相見に出でてぞ我が来し
      (玉桙乃 道者雖遠 愛哉師 妹乎相見尓 出而曽吾来之)
 「玉桙(たまほこ)の」は枕詞。「はしきやし」は「なつかしい」という意味である。
 「遠いみちのりでしたが、なつかしい叔母上にお目にかかりたくて出かけてまいりました」という歌である。

 頭注に「大伴坂上郎女が応えた歌」とある。
1620  あらたまの月立つまでに来まさねば夢にし見つつ思ひぞ我がせし
      (荒玉之 月立左右二 来不益者 夢西見乍 思曽吾勢思)
 「あらたまの」は枕詞。「来まさねば」は「いらっしゃらないので」という意味である。 「月が変わってもいらっしゃらないので、あなたのことを夢にまで見ておりましたよ」という歌である。
 左注に「右二首は天平十一年己卯年(739年)秋八月の作歌」とある。

 頭注に「巫部麻蘇娘子(かむなぎべのまそをとめ)の歌」とある。麻蘇娘子は伝未詳。
1621  我が宿の萩花咲けり見に来ませいま二日だみあらば散りなむ
      (吾屋前<之> 芽子花咲有 見来益 今二日許 有者将落)
 「いま二日だみ」は耳慣れない用語である。短歌には一例もなく、4011番長歌にわずかに見える。本歌の場合は原文に「今二日許」と「許」の字が見えるので「いま二日ほど」という意味であることが分かる。
 「我が家の庭に萩が咲きました。見においで下さいな。二日ほどしたら散ってしまいましょうから」という歌である。
           (2014年9月24日記、2018年6月24日記)
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