万葉集読解・・・119-1(1742~1754番歌)
頭注に「河内の大橋を独り行く娘子を見ての歌と短歌」とある。
1742番 長歌
しな照る 片足羽川の さ丹塗りの 大橋の上ゆ 紅の 赤裳裾引き 山藍もち 摺れる衣着て ただ独り い渡らす子は 若草の 夫かあるらむ 橿の実の 独りか寝らむ 問はまくの 欲しき我妹が 家の知らなく
(級照 片足羽河之 左丹塗 大橋之上従 紅 赤裳<數>十引 山藍用 <揩>衣服而 直獨 伊渡為兒者 若草乃 夫香有良武 橿實之 獨歟将宿 問巻乃 欲我妹之 家乃不知久)
頭注に「河内の大橋を独り行く娘子を見ての歌と短歌」とある。
1742番 長歌
しな照る 片足羽川の さ丹塗りの 大橋の上ゆ 紅の 赤裳裾引き 山藍もち 摺れる衣着て ただ独り い渡らす子は 若草の 夫かあるらむ 橿の実の 独りか寝らむ 問はまくの 欲しき我妹が 家の知らなく
(級照 片足羽河之 左丹塗 大橋之上従 紅 赤裳<數>十引 山藍用 <揩>衣服而 直獨 伊渡為兒者 若草乃 夫香有良武 橿實之 獨歟将宿 問巻乃 欲我妹之 家乃不知久)
長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「しな照る」と「橿の実の」は本歌一例しかなく、枕詞(?)。「片足羽川」は奈良県と大阪府を流れる大和川ないしその支流と目される。「山藍もち」は「山藍でもって」という意味。山藍は多年草。「若草の」は枕詞。
(口語訳)
片足羽川に架かっている丹塗りの大橋の上を、紅色の赤裳の裾を引いて、山藍で染めた着物を着て、たった独りで渡っていくあの子。夫のある身だろうか。あるいは独りで寝ているだろうか。訊いてみたいものだが、彼女の家が分からない。
片足羽川に架かっている丹塗りの大橋の上を、紅色の赤裳の裾を引いて、山藍で染めた着物を着て、たった独りで渡っていくあの子。夫のある身だろうか。あるいは独りで寝ているだろうか。訊いてみたいものだが、彼女の家が分からない。
反 歌
1743 大橋の頭に家あらばま悲しく独り行く子に宿貸さましを
(大橋之 頭尓家有者 心悲久 獨去兒尓 屋戸借申尾)
「大橋の頭(つめ)に」は「大橋のたもとに」という意味。
「大橋のたもとに私の家があったらなあ。悲しげに独り渡って行くあの子に宿を貸してあげられるのに」という歌である。
1743 大橋の頭に家あらばま悲しく独り行く子に宿貸さましを
(大橋之 頭尓家有者 心悲久 獨去兒尓 屋戸借申尾)
「大橋の頭(つめ)に」は「大橋のたもとに」という意味。
「大橋のたもとに私の家があったらなあ。悲しげに独り渡って行くあの子に宿を貸してあげられるのに」という歌である。
頭注に「武蔵の小埼(をさき)の沼の鴨を見て作った歌」とある。
1744 埼玉の小埼の沼に鴨ぞ羽霧るおのが尾に降り置ける霜を掃(はら)ふとにあらし
(前玉之 小埼乃沼尓 鴨曽翼霧 己尾尓 零置流霜乎 掃等尓有斯)
本歌は五七七五七七からなる旋頭歌。「埼玉の小埼の沼」は埼玉県行田市に所在。「鴨ぞ羽霧(はねき)る」は「鴨が羽ばたいて水を霧のように飛ばす」という意味。
「小埼の沼の鴨が羽ばたいて水が勢いよく飛び散り霧のように舞い上がった。自分の尾に降りていた霜を払いのけるための羽ばたきのようだ」という歌である。
1744 埼玉の小埼の沼に鴨ぞ羽霧るおのが尾に降り置ける霜を掃(はら)ふとにあらし
(前玉之 小埼乃沼尓 鴨曽翼霧 己尾尓 零置流霜乎 掃等尓有斯)
本歌は五七七五七七からなる旋頭歌。「埼玉の小埼の沼」は埼玉県行田市に所在。「鴨ぞ羽霧(はねき)る」は「鴨が羽ばたいて水を霧のように飛ばす」という意味。
「小埼の沼の鴨が羽ばたいて水が勢いよく飛び散り霧のように舞い上がった。自分の尾に降りていた霜を払いのけるための羽ばたきのようだ」という歌である。
頭注に那賀郡(なかのこほり)の曝井(さらしゐ)の歌」とある。那賀郡は埼玉県児玉郡内または茨木県水戸市内にあった村里。曝井は衣服の洗い場、近在の男女が集まる場所だった。
1745 三栗の那賀に向へる曝井の絶えず通はむそこに妻もが
(三栗乃 中尓向有 曝井之 不絶将通 従所尓妻毛我)
「三栗の」は枕詞というが、本歌のほかに1783番歌しか例がなく、枕詞(?)としておきたい。
「精出して那賀の里の洗い場に通ってみよう。そこに妻となるべき女性がいるかも知れないから」という歌である。
1745 三栗の那賀に向へる曝井の絶えず通はむそこに妻もが
(三栗乃 中尓向有 曝井之 不絶将通 従所尓妻毛我)
「三栗の」は枕詞というが、本歌のほかに1783番歌しか例がなく、枕詞(?)としておきたい。
「精出して那賀の里の洗い場に通ってみよう。そこに妻となるべき女性がいるかも知れないから」という歌である。
頭注に「手綱濱(たづなのはま)の歌」とある。
1746 遠妻し高にありせば知らずとも手綱の浜の尋ね来なまし
(遠妻四 高尓有世婆 不知十方 手綱乃濱能 尋来名益)
「岩波大系本」は、高(たか)は茨城県多賀郡のこととしている。和名抄に「多珂郡多珂」とあるのを引き合いに出して。そして「手綱の浜の」は枕詞としている。前々歌や前歌が関東での歌だから本歌もそうと考えての解釈と思われる。が、私には不審に思われてならない。
第一に、初句の「遠妻し」である。強意の「し」だが、大和にいる妻のことと考えられる。それが茨城県ではあまりにも遠い。奈良時代の大和と茨木では「遠妻し」と気軽に歌い出せるような場所ではない。別世界という感覚だったに相違ない。
第二に、頭注に「手綱濱(たづなのはま)の歌」とあるだけだ。なぜ国名も郡名も不記載なのだろう。手綱濱はよほど有名な濱で、「ああ」と分かる場所だったのだろうか。さらに、歌中に「高に」とあるだけで、なぜ茨城県多賀郡のことなのか不明。次歌に難波(大阪)の歌が記載されているので、なおさらである。「たか」といえば、「ああ、あそこのたかか」と見当がつく「たか」の筈である。「手綱の浜の」が枕詞なら七音の枕詞となるが、七音の枕詞など聞いたことがない。だいいち枕詞だけを掲げた頭注の意図は何だろう。
以上、私の不審は、兵庫県に多可郡があり、当時の人は「たか」といえば大和に近いこの多可郡を思い浮かべたに相違ないからである。問題は「手綱の浜」。浜は海とは限らない。大きな川の砂浜も浜という。兵庫県の多可郡には加古川という大きな川が流れている。舟で移動すれば大阪湾の浜に達するのはわけない。本歌は次のような歌に相違ない。
「遠く大和にいる妻が大和ではなくここ那珂郡にいるとすれば、今私がいる手綱の浜ではないが、私を訪ねて来てくれるだろうに」という歌である。
1746 遠妻し高にありせば知らずとも手綱の浜の尋ね来なまし
(遠妻四 高尓有世婆 不知十方 手綱乃濱能 尋来名益)
「岩波大系本」は、高(たか)は茨城県多賀郡のこととしている。和名抄に「多珂郡多珂」とあるのを引き合いに出して。そして「手綱の浜の」は枕詞としている。前々歌や前歌が関東での歌だから本歌もそうと考えての解釈と思われる。が、私には不審に思われてならない。
第一に、初句の「遠妻し」である。強意の「し」だが、大和にいる妻のことと考えられる。それが茨城県ではあまりにも遠い。奈良時代の大和と茨木では「遠妻し」と気軽に歌い出せるような場所ではない。別世界という感覚だったに相違ない。
第二に、頭注に「手綱濱(たづなのはま)の歌」とあるだけだ。なぜ国名も郡名も不記載なのだろう。手綱濱はよほど有名な濱で、「ああ」と分かる場所だったのだろうか。さらに、歌中に「高に」とあるだけで、なぜ茨城県多賀郡のことなのか不明。次歌に難波(大阪)の歌が記載されているので、なおさらである。「たか」といえば、「ああ、あそこのたかか」と見当がつく「たか」の筈である。「手綱の浜の」が枕詞なら七音の枕詞となるが、七音の枕詞など聞いたことがない。だいいち枕詞だけを掲げた頭注の意図は何だろう。
以上、私の不審は、兵庫県に多可郡があり、当時の人は「たか」といえば大和に近いこの多可郡を思い浮かべたに相違ないからである。問題は「手綱の浜」。浜は海とは限らない。大きな川の砂浜も浜という。兵庫県の多可郡には加古川という大きな川が流れている。舟で移動すれば大阪湾の浜に達するのはわけない。本歌は次のような歌に相違ない。
「遠く大和にいる妻が大和ではなくここ那珂郡にいるとすれば、今私がいる手綱の浜ではないが、私を訪ねて来てくれるだろうに」という歌である。
頭注に「春三月、卿や大夫たち一行が難波に下った時の歌二首と短歌」とある。
1747番 長歌
白雲の 龍田の山の 瀧の上の 小椋の嶺に 咲きををる 桜の花は 山高み 風しやまねば 春雨の 継ぎてし降れば ほつ枝は 散り過ぎにけり 下枝に 残れる花は しましくは 散りな乱ひそ 草枕 旅行く君が 帰り来るまで
(白雲之 龍田山之 瀧上之 小鞍嶺尓 開乎為流 櫻花者 山高 風之不息者 春雨之 継而零者 最末枝者 落過去祁利 下枝尓 遺有花者 須臾者 落莫乱 草枕 客去君之 及還来)
1747番 長歌
白雲の 龍田の山の 瀧の上の 小椋の嶺に 咲きををる 桜の花は 山高み 風しやまねば 春雨の 継ぎてし降れば ほつ枝は 散り過ぎにけり 下枝に 残れる花は しましくは 散りな乱ひそ 草枕 旅行く君が 帰り来るまで
(白雲之 龍田山之 瀧上之 小鞍嶺尓 開乎為流 櫻花者 山高 風之不息者 春雨之 継而零者 最末枝者 落過去祁利 下枝尓 遺有花者 須臾者 落莫乱 草枕 客去君之 及還来)
「龍田山」は奈良県生駒郡の山の一つ。「咲きををる」は「しなるように咲く」という意味。「ほつ枝」は「上枝」のこと。「しましくは」は「しばらくは」という意味。
(口語訳)
「白雲が立つという龍田の山の滝の上にある小椋の嶺に、枝がしならんばかりに咲く桜の花。山が高いので、風がやまず、春雨が次々に降るので、上枝の桜は散ってしまった。下枝に残っている花よ。このまましばらく散らないでおくれ。旅に出たわが君が帰ってくるまで。
「白雲が立つという龍田の山の滝の上にある小椋の嶺に、枝がしならんばかりに咲く桜の花。山が高いので、風がやまず、春雨が次々に降るので、上枝の桜は散ってしまった。下枝に残っている花よ。このまましばらく散らないでおくれ。旅に出たわが君が帰ってくるまで。
反 歌
1748 我が行きは七日は過ぎじ龍田彦ゆめこの花を風にな散らし
(吾去者 七日者不過 龍田彦 勤此花乎 風尓莫落)
「我が行きは七日は過ぎじ」は難波行きの一行に加わった作者の見通しを述べている。龍田彦は奈良県生駒郡斑鳩町に鎮座する龍田神社の祭神。
「難波に行って戻って来るのに七日はかかりません。龍田彦様、戻って来るまでゆめゆめ、桜を風で散らせなさいませんように」という歌である。
1748 我が行きは七日は過ぎじ龍田彦ゆめこの花を風にな散らし
(吾去者 七日者不過 龍田彦 勤此花乎 風尓莫落)
「我が行きは七日は過ぎじ」は難波行きの一行に加わった作者の見通しを述べている。龍田彦は奈良県生駒郡斑鳩町に鎮座する龍田神社の祭神。
「難波に行って戻って来るのに七日はかかりません。龍田彦様、戻って来るまでゆめゆめ、桜を風で散らせなさいませんように」という歌である。
1749番 長歌
白雲の 龍田の山を 夕暮れに うち越え行けば 瀧の上の 桜の花は 咲きたるは 散り過ぎにけり ふふめるは 咲き継ぎぬべし こちごちの 花の盛りに 見さずとも 君がみ行きは 今にしあるべし
(白雲乃 立田山乎 夕晩尓 打越去者 瀧上之 櫻花者 開有者 落過祁里 含有者 可開継 許知<期>智乃 花之盛尓 雖不見<在> 君之三行者 今西應有)
白雲の 龍田の山を 夕暮れに うち越え行けば 瀧の上の 桜の花は 咲きたるは 散り過ぎにけり ふふめるは 咲き継ぎぬべし こちごちの 花の盛りに 見さずとも 君がみ行きは 今にしあるべし
(白雲乃 立田山乎 夕晩尓 打越去者 瀧上之 櫻花者 開有者 落過祁里 含有者 可開継 許知<期>智乃 花之盛尓 雖不見<在> 君之三行者 今西應有)
「ふふめるは」は「つぼみのまま残っているのは」という意味。
(口語訳)
「白雲が立つという龍田の山を夕暮れに越えて行くと、滝の上の桜の花は咲いて散っていた。つぼみのまま残っているのは続いて咲くことでしょう。あちこちの枝に咲きそろう花の盛りは見られなくとも、君が行って見るのは今こそ好機でしょう。
「白雲が立つという龍田の山を夕暮れに越えて行くと、滝の上の桜の花は咲いて散っていた。つぼみのまま残っているのは続いて咲くことでしょう。あちこちの枝に咲きそろう花の盛りは見られなくとも、君が行って見るのは今こそ好機でしょう。
反 歌
1750 暇あらばなづさひ渡り向つ峰の桜の花も折らましものを
(暇有者 魚津柴比渡 向峯之 櫻花毛 折末思物緒)
「なづさひ渡り」は「苦労して渡ってでも」という意味。
「時間さえあれば苦労して渡ってでも、向かいの峰の桜を折り取ってまいりましょうに」という歌である。
1750 暇あらばなづさひ渡り向つ峰の桜の花も折らましものを
(暇有者 魚津柴比渡 向峯之 櫻花毛 折末思物緒)
「なづさひ渡り」は「苦労して渡ってでも」という意味。
「時間さえあれば苦労して渡ってでも、向かいの峰の桜を折り取ってまいりましょうに」という歌である。
頭注に「難波に宿をとって明くる日帰って来る時の歌と短歌」とある。
1751番 長歌
島山を い行き廻れる 川沿ひの 岡辺の道ゆ 昨日こそ 我が越え来しか 一夜のみ 寝たりしからに 峰の上の 桜の花は 瀧の瀬ゆ 散らひて流る 君が見む その日までには 山おろしの 風な吹きそと うち越えて 名に負へる杜に 風祭せな
(嶋山乎 射徃廻流 河副乃 丘邊道従 昨日己曽 吾<超>来壮鹿 一夜耳 宿有之柄二 <峯>上之 櫻花者 瀧之瀬従 落堕而流 君之将見 其日左右庭 山下之 風莫吹登 打越而 名二負有社尓 風祭為奈)
1751番 長歌
島山を い行き廻れる 川沿ひの 岡辺の道ゆ 昨日こそ 我が越え来しか 一夜のみ 寝たりしからに 峰の上の 桜の花は 瀧の瀬ゆ 散らひて流る 君が見む その日までには 山おろしの 風な吹きそと うち越えて 名に負へる杜に 風祭せな
(嶋山乎 射徃廻流 河副乃 丘邊道従 昨日己曽 吾<超>来壮鹿 一夜耳 宿有之柄二 <峯>上之 櫻花者 瀧之瀬従 落堕而流 君之将見 其日左右庭 山下之 風莫吹登 打越而 名二負有社尓 風祭為奈)
「島山」は川が流れ下って山の頂上部が島のように見える様を言っている。
(口語訳)
山が島のように見える流れ下る川沿いの岡辺を昨日私は超えてきた。一夜だけ泊まったその峰の桜。流れ下る滝の瀬から散って舞い落ちる。我が君がご覧になるだろう、その日までは、山おろしの風よ吹くな、と願って一足先に、有名な神社に寄り、風よけの神様にお祈りしたことよ。
山が島のように見える流れ下る川沿いの岡辺を昨日私は超えてきた。一夜だけ泊まったその峰の桜。流れ下る滝の瀬から散って舞い落ちる。我が君がご覧になるだろう、その日までは、山おろしの風よ吹くな、と願って一足先に、有名な神社に寄り、風よけの神様にお祈りしたことよ。
反 歌
1752 い行き逢ひの坂のふもとに咲きををる桜の花を見せむ子もがも
(射行相乃 坂之踏本尓 開乎為流 櫻花乎 令見兒毛欲得)
「い行き逢ひの坂」とは「人が行き合う坂」、つまり「坂のてっぺん」のこと。「咲きををる」は「しなるように咲く」という意味。
「坂のてっぺん近辺にしなるように咲く桜の花。この美しい光景を見せてやれる彼女がいたらなあ」という歌である。
1752 い行き逢ひの坂のふもとに咲きををる桜の花を見せむ子もがも
(射行相乃 坂之踏本尓 開乎為流 櫻花乎 令見兒毛欲得)
「い行き逢ひの坂」とは「人が行き合う坂」、つまり「坂のてっぺん」のこと。「咲きををる」は「しなるように咲く」という意味。
「坂のてっぺん近辺にしなるように咲く桜の花。この美しい光景を見せてやれる彼女がいたらなあ」という歌である。
頭注に「検税使大伴卿が筑波山に登ったときの歌と短歌」とある。検税使は国の倉に蓄えられている現物税と帳簿を照合する官で、都から諸国に派遣された。当時の税は金銭ではなく、稲等の現物税だったので、帳簿の記載と照合する必要があった。大伴卿は大伴旅人と思われる。筑波山は茨城県の筑波山。
1753番 長歌
衣手 常陸の国の 二並ぶ 筑波の山を 見まく欲り 君来ませりと 暑けくに 汗かき嘆げ 木の根取り うそぶき登り 峰の上を 君に見すれば 男神も 許したまひ 女神も ちはひたまひて 時となく 雲居雨降る 筑波嶺を さやに照らして いふかりし 国のまほらを つばらかに 示したまへば 嬉しみと 紐の緒解きて 家のごと 解けてぞ遊ぶ うち靡く 春見ましゆは 夏草の 茂くはあれど 今日の楽しさ
(衣手 常陸國 二並 筑波乃山乎 欲見 君来座登 熱尓 汗可伎奈氣 木根取 嘯鳴登 <峯>上乎 <公>尓令見者 男神毛 許賜 女神毛 千羽日給而 時登無 雲居雨零 筑波嶺乎 清照 言借石 國之真保良乎 委曲尓 示賜者 歡登 紐之緒解而 家如 解而曽遊 打靡 春見麻之従者 夏草之 茂者雖在 今日之樂者)
1753番 長歌
衣手 常陸の国の 二並ぶ 筑波の山を 見まく欲り 君来ませりと 暑けくに 汗かき嘆げ 木の根取り うそぶき登り 峰の上を 君に見すれば 男神も 許したまひ 女神も ちはひたまひて 時となく 雲居雨降る 筑波嶺を さやに照らして いふかりし 国のまほらを つばらかに 示したまへば 嬉しみと 紐の緒解きて 家のごと 解けてぞ遊ぶ うち靡く 春見ましゆは 夏草の 茂くはあれど 今日の楽しさ
(衣手 常陸國 二並 筑波乃山乎 欲見 君来座登 熱尓 汗可伎奈氣 木根取 嘯鳴登 <峯>上乎 <公>尓令見者 男神毛 許賜 女神毛 千羽日給而 時登無 雲居雨零 筑波嶺乎 清照 言借石 國之真保良乎 委曲尓 示賜者 歡登 紐之緒解而 家如 解而曽遊 打靡 春見麻之従者 夏草之 茂者雖在 今日之樂者)
「衣手」は「着物の袖」という意味だが、枕詞的に使用されている例が本歌。同様の例に3328番歌に「衣手葦毛の馬の~」とある。架かる言葉が全く異なる。枕詞(?)。「常陸の国」は今の茨城県。「うそぶき登り」は「あえぎながら登る」という、「ちはひたまひて」は「霊力でお守り下さって」という意味。「いふかりし」は「いぶかりし」のこと。「国のまほらを」は「国で一番すばらしいところ」という意味。
(口語訳)
常陸の国に雄岳と雌岳と二つ並ぶ筑波山を見たいと我が君はおいでになった。暑い最中、汗を掻き木の根をつかんであえぎながら登ってきて、頂上をお見せした。雄岳の神は首尾良くお導きになり、雌岳の神も霊力でお守り下さって、いつもなら時なしに雲がかかり、雨も降るこの筑波山は快晴に恵まれた。どうだろうかと気がかりにしていた、国で随一の絶景をお示めし下さった。あまりに嬉しいので、着物の紐を解いて、家にいるような気安さでくつろいだ。草がなびく春はいいけれど、夏草が茂っているけれど今日のくつろぎも素晴らしい。
常陸の国に雄岳と雌岳と二つ並ぶ筑波山を見たいと我が君はおいでになった。暑い最中、汗を掻き木の根をつかんであえぎながら登ってきて、頂上をお見せした。雄岳の神は首尾良くお導きになり、雌岳の神も霊力でお守り下さって、いつもなら時なしに雲がかかり、雨も降るこの筑波山は快晴に恵まれた。どうだろうかと気がかりにしていた、国で随一の絶景をお示めし下さった。あまりに嬉しいので、着物の紐を解いて、家にいるような気安さでくつろいだ。草がなびく春はいいけれど、夏草が茂っているけれど今日のくつろぎも素晴らしい。
反 歌
1754 今日の日にいかにか及かむ筑波嶺に昔の人の来けむその日も
(今日尓 何如将及 筑波嶺 昔人之 将来其日毛)
「いかにか及(し)かむ」は、「絶好の日ではなかったろうか」という意味である。
「今日のような絶好の日があろうか。ここ筑波嶺にやってきた昔の人たちも目にしたことのない日だ」という歌である。
(2018年7月23日記)
![イメージ 1]()
1754 今日の日にいかにか及かむ筑波嶺に昔の人の来けむその日も
(今日尓 何如将及 筑波嶺 昔人之 将来其日毛)
「いかにか及(し)かむ」は、「絶好の日ではなかったろうか」という意味である。
「今日のような絶好の日があろうか。ここ筑波嶺にやってきた昔の人たちも目にしたことのない日だ」という歌である。
(2018年7月23日記)