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万葉集読解・・・130(1940~1957番歌)

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     万葉集読解・・・130(1940~1957番歌)
1940  朝霞たなびく野辺にあしひきの山霍公鳥いつか来鳴かむ
      (朝霞 棚引野邊 足桧木乃 山霍公鳥 何時来将鳴)
 「あしひきの」は代表的な枕詞。その使用例は111歌にものぼる。同じく代表的な「ぬばたまの」(80例)や「ひさかたの」(50例)を見れば分かるように、「あしひきの」は群を抜いている。が、本歌の場合、山というより「山霍公鳥(やまほととぎす)」にかかっている。こういう例は「あしひきの山橘の~」(669番歌)や「あしひきの山鳥の尾の~」(2694番歌)等にも見える。本歌の「山霍公鳥」はその典型例と見られる。たしかに「あしひきの」は枕詞だが、単なる飾り言葉ではなく、「山に住むホトトギス」の強調に使用されている。こんなことに今頃になって気づくとはお粗末の限りだが、ひとこと述べておきたい。
 「朝霞たなびく野辺」は春の光景。ホトトギスがやって来て鳴く季節にはやや間がある。その到来を心待ちした歌とみていい。
 「野辺には朝霞がたなびいている。いつになったら山からヤマホトトギスがやってきて鳴いてくれるのだろう」という歌である。

1941  朝霞八重山越えて呼子鳥鳴きや汝が来る宿もあらなくに
      (旦霞 八重山越而 喚孤鳥 吟八汝来 屋戸母不有九二)
 「朝霞(あさかすみ)」は原文の「旦霞」を訓じたもの。これに対し1945番歌は「朝霧の(あさぎりの)」(原文は「旦霧」)となっている。つまり、「霞」と「霧」をはっきりと原文は書き分けている。が、「伊藤本」は本歌も「朝霧の」としている。「朝霞」ないし「朝霧」に続く「八重山」はこの二首しかないのに「岩波大系本」も「伊藤本」も枕詞と断じている。「朝霞」ないし「朝霧」は異なっているうえに1945番歌ははっきりと夏の歌。枕詞の筈はない。
 「八重山越えて」は「幾重にも重なる山々を越えて」という意味である。「呼子鳥」は春鳴くカッコウとされている。
 「霞がかかった朝の山々を越えてやってきたのか、呼子鳥よ。お前が鳴いても貸してやれる宿もないのになあ」という歌である。

1942  霍公鳥鳴く声聞くや卯の花の咲き散る岡に葛引く娘女
      (霍公鳥 鳴音聞哉 宇能花乃 開落岳尓 田葛引{女+感}嬬)
 前歌は呼子鳥、本歌は娘女(をとめ)に呼びかけた歌。「葛(くず)引く娘女(をとめ)」は「葛を刈り取っている乙女」という意味である。
 「ホトトギスが鳴いている声を聞いたかい?。卯の花が咲いては散っていく岡で葛を刈り取っている乙女よ」という歌である。

1943  月夜吉み鳴く霍公鳥見まく欲り我れ草取れり見む人もがも
      (月夜吉 鳴霍公鳥 欲見 吾草取有 見人毛欲得)
 「月夜吉(よ)み」は「~なので」の「み」。「我れ草取れり」の「草」は、本歌が前歌に応えた乙女の歌だとすると、草は葛。
 「絶好の月夜なので、鳴くホトトギスを見たいと思って私は草を刈り取っています。その私を見て下さる人がいたらいいのに」という歌である。

1944  藤波の散らまく惜しみ霍公鳥今城の岡を鳴きて越ゆなり
      (藤浪之 散巻惜 霍公鳥 今城岳(口+り) 鳴而越奈利)
 藤波は藤の花。「今城(いまき)の岡」は奈良県大淀町内の地名等諸説あって未詳。本歌にはちょっとした解説を要する。ホトトギスは藤の花の咲く頃、山からやってきて鳴きしきり、藤の花が散る頃になると山に戻っていく鳥とされていた。それを踏まえた歌である。
 「藤の花の散るのを惜しみ、ホトトギスは今城の岡を鳴きながら越えていった」という歌である。

1945  朝霧の八重山越えて霍公鳥卯の花辺から鳴きて越え来ぬ
      (旦霧 八重山越而 霍公鳥 宇能花邊柄 鳴越来)
 1941番歌と異なってこちらは「朝霧の(あさぎりの)」と詠いだしている。霍公鳥(ホトギス)は夏の鳥。
 「霧がかかった朝の山々を越えてホトトギスが卯の花が咲く丘の辺りを鳴きながらやってきた」という歌である。

1946  木高くはかつて木植ゑじ霍公鳥来鳴き響めて恋まさらしむ
      (木高者 曽木不殖 霍公鳥 来鳴令響而 戀令益)
 「木高(こだか)くは」は「高々となるような」という意味。「かつて木植ゑじ」は「かって~せじ」という形で「決して~しない」という意味。
 「高々と茂るような木は決して植えまい、ホトトギスがやってきて木にとまり、しきりに鳴くと恋しさがつのるから」という歌である。

1947  逢ひかたき君に逢へる夜霍公鳥他し時ゆは今こそ鳴かめ
      (難相 君尓逢有夜 霍公鳥 他時従者 今<社>鳴目)
 「他(あた)し時ゆは」は「ほかの時よりは」という比較表現ではなく、「普段は鳴かずとも今だ、今こそ」という強い要請を示している。
 「滅多に逢えないお方に逢っている今宵。ホトトギスよ。今よ、今こそ激しく鳴いてちょうだい」という歌である。

1948  木の晩の夕闇なるに [一云 なれば] 霍公鳥いづくを家と鳴き渡るらむ
      (木晩之 暮闇有尓 [一云 有者] 霍公鳥 何處乎家登 鳴渡良<武>)
 「木の晩(くれ)の夕闇なるに(なれば)」は「木陰が真っ暗な夕闇なのに」という意味である。
 「木陰が真っ暗になってしまう夕闇なのに、ホトトギスよ、いづこを栖かと鳴きわたっていくのだろう」という歌である。
 異伝歌は「夕闇なるに」が「夕闇なれば」となっているが、歌意はほぼ同意。

1949  霍公鳥今朝の朝明に鳴きつるは君聞きけむか朝寐か寝けむ
      (霍公鳥 今朝之旦明尓 鳴都流波 君将聞可 朝宿疑将寐)
 「朝寐(い)か寝(ね)けむ」は「まだ寝ておられたでしょうか」という意味。平明歌。
 「今朝の明け方、ホトトギスが鳴いていましたが、あなたはお聞きになったでしょうか、それともまだ寝ておられたでしょうか」という歌である。

1950  霍公鳥花橘の枝に居て鳴き響もせば花は散りつつ
      (霍公鳥 花橘之 枝尓居而 鳴響者 花波散乍)
 「花橘」は花の咲いている橘のこと。「鳴き響(とよ)もせば」は「鳴き響かせれば」という意味。
 「花咲く橘の枝にとまってホトトギスが声を震わせて鳴き響かせるから花もはらはら散り落ちる」という歌である。

1951  うれたきや醜霍公鳥今こそば声の嗄るがに来鳴き響めめ
      (慨哉 四去霍公鳥 今社者 音之干蟹 来喧響目)
 「うれたきや」は「ああ、いまいましい」という間投詞。「醜(しこ)霍公鳥」は「ろくでなしのホトトギス」ということ。「響(とよ)めめ」の末尾の「め」は「あいつめ」などと使われる憤慨の「め」。
 「ああ、いまいましい、馬鹿ホトトギス。今、この今こそやってきて声のかすれるまで鳴かんかい!」という歌である。

1952  今夜のおぼつかなきに霍公鳥鳴くなる声の音の遥けさ
      (今夜乃 於保束無荷 霍公鳥 喧奈流聲之 音乃遥左)
 各書とも「今夜の」は「こよひの」と四音に訓じている。が、初句の四音は極めて異例。すわりが悪い。「このよひの」と五音に読むべきかと思うがいかがだろう。平明歌。
 「今宵はおぼつかなくてぼんやりした気分だ。ホトトギスが鳴いているが、なんだか遠くの声のように聞こえる」という歌である。

1953  五月山卯の花月夜霍公鳥聞けども飽かずまた鳴かぬかも
      (五月山 宇能花月夜 霍公鳥 雖聞不飽 又鳴鴨)
 本歌は天才的な言葉使いだ。「五月(さつき)山」はもう一例、1980番歌に「五月山花橘に霍公鳥隠らふ時に逢へる君かも」という形で出てくる。まるで「五月山」という名の山があるような詠い方である。そして、「花橘に霍公鳥」と続けているので普通の使い方。つまり、普通の意味で「五月の山」と使っている。ところが本歌は「卯の花月夜」と続けている。卯の花を持ち出すことによって、ぐっと具体性が増し、まるで「五月山」という名の山が実在しているような臨場感を帯びている。「卯の花月夜」などという言い方も新鮮。それだけで、卯の花畑が月夜にこうこうと照らし出されている光景が鮮やかに浮かび上がる。詩情あふれる一首といってよかろう。
 「今、山は五月、卯の花がこうこうと照らし出される絶好の月夜。ホトトギスの鳴き声がする。いくら聞いていても飽きない鳴き声。まだまだ鳴いてくれないかなあ」という歌である。

1954  霍公鳥来居も鳴かぬか我がやどの花橘の地に落ちむ見む
      (霍公鳥 来居裳鳴香 吾屋前乃 花橘乃 地二落六見牟)
 「来居(きゐ)も鳴かぬか」は「(花橘)にやってきて止まって鳴いてくれないだろうか」という意味である。「我がやどの」は「我が家の庭の」という意味。
 「ホトトギス、私んちの庭に咲いている花橘の枝にとまって鳴いてくれないだろうか?。ふるえる声で花びらがはらはら散るのを見てみたいから」という歌である。

1955  霍公鳥厭ふ時なしあやめぐさかづらにせむ日こゆ鳴き渡れ
      (霍公鳥 厭時無 菖蒲 蘰将為日 従此鳴度礼)
 「厭(いと)ふ時なし」は「いつやってきてもいい」という意味。「あやめぐさ」は菖蒲のことで、5月5日の端午の節句に合わせて菖蒲でかづらを作る。かづらは頭にかぶせたり髪に挿したりする飾り。したがって、「かづらにせむ日」とは端午の節句のことである。結句の「こゆ鳴き渡れ」は「ここを鳴きつつ通っておくれ」という意味である。
 「ホトトギスよ。いつやってきてもいいが、菖蒲で作ったかづらを頭に飾る日、端午の節句は間違いなくここをわたっていっておくれよな」という歌である。

1956  大和には鳴きてか来らむ霍公鳥汝が鳴くごとになき人思ほゆ
      (山跡庭 啼而香将来 霍公鳥 汝鳴毎 無人所念)
 「大和には」と詠いだしているから、大和は作者の故郷か?。
 「大和にはやってきて鳴いているだろうか。ホトトギスよ。お前が鳴くたびに今は亡き人が偲ばれてならない」という歌である。

1957  卯の花の散らまく惜しみ霍公鳥野に出やまに入り来鳴き響もす
      (宇能花乃 散巻惜 霍公鳥 野出山入 来鳴令動)
 「野に出やまに入り」は、ホトトギスは山からやってくると考えられていたので、「野に出てきたり山に帰ったり」という意味である。「鳴き響(とよ)もす」は「鳴き響かせる」という意味。
 「卯の花が散ってしまうのを惜しんでか、ホトトギスは野に出たり山に帰ったりしながらやってきてあたりに鳴き声を響かせる」という歌である。
           (2015年1月4日記、2018年9月1日記)
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